〈 信仰生活のあかし 〉


教会から杖を贈られて
米倉安雄
 このたび、私が所属している日本基督教団銀座教会から、敬老祝福の案内を頂きました。銀座教会では、70歳になって新しくこの日を迎えた会員に、杖が贈られます。正直なところ、私ももうそんな年齢になったのかと、不覚にも驚いています。
 二・二六事件が起こった年の1月、私は本居宣長の町、松阪に生れました。国は、日中戦争、国家総動員体制の樹立、日独伊三国同盟、真珠湾攻撃と突っ走り、私が国民学校4年生のとき、終戦を迎えました。全国のほとんどの都市は焦土と化していました。
 戦後、戦災を免れたこの城下町で、中国大陸から転進して来たノルウエー・ルーテル自由教会の宣教師が、「松阪ルーテル教会」という看板を掲げて伝道を始めました。
 私はその教会で福音に接し、22歳のとき、クリスマス礼拝でぺール・キブレ宣教師から洗礼を受けたのでした。洗礼式のあと、キブレ宣教師は、私に短い証しをさせ、それが終わると、握手をしながら「み言葉を上げます」と言って、次の聖句を下さいました。
 「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。」(Tテモテ6:12=口語訳)。
 若い日の私は、救われた喜びに満たされて身も心も軽やかな毎日であった記憶が、今なお新しいのです。しかし、そのとき、喜びの生活とあわせて、今までに経験したことのない「信仰の戦い」が始まりました。外には、日本の大部を占める異教社会の習俗との戦いがあり、内には、私の中に住む「罪」との戦いがあります。中でも深刻な戦いは、「罪」との戦いでありましょう。
 戦いに疲れ果てるとき、私を慰め励ましてくれる聖句は、「疲れた者、重荷を追う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)でした。
 この聖句は、私が教会に通い始めた頃、通りに面したガラス張りの掲示板に掲げてありました。若い日に植え付けられたみ言葉は、今日ますます私の内に働いています。
 今から40年前、私は名古屋から東京・霞ヶ関へ転勤しました。銀座教会が正午礼拝を行っていることを知り、足を運ぶようになりました。私が苦労と疲れを覚えるとき、その解決を、神の啓示の具体的な場である教会でキリストに出会うことに求め、教会で説き明かされるみ言葉の中に求めるように、キブレ宣教師が教えてくれたことが根底にありました。
 このようにして銀座教会に導かれた私は、1997年5月に転入させて頂きました。転勤や転居などに伴い、8つの教会を転々とした後のついの教会です。
 思えば、半世紀近くをひたすらに走った信仰生活でした。今回、教会から杖を頂戴したとなれば、いよいよ「信仰の戦い」も正念場を迎えます。これからも、「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。」(イザヤ46:4)と言われるお方を信じて従い、天にある「本国」(フィリピ3:20)への凱旋を目指して行く所存です。
(元・松阪ルーテル教会会員。
 日本基督教団銀座教会会員。
 日本連合基督教共励会理事長。)

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