〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
人知を超えて
Y.U姉
「こんな筈ではなかったのに・・・」
 出産してから、自分の体の思わぬ変化に、私は何度も繰り返しこう思った。
 妊娠しているときは出産後の育児にこそ不安を感じていたものの、自分の体がどうなっていくのかは考えもしなかった。妊娠から月日が経つにつれて大きくなっていく自分のおなかの変化に戸惑ったものの、出産して何日か休めば元気な自分に戻れる・・・そう思っていた。多くの人がそうであったように。

 子どもが生まれて産婦人科で入院していたときから、自分の左の乳首に傷ができた。担当の助産師からは治るまでは子どもには吸わせないようにと言われた。退院後は完治しなかったものの随分痛みも和らいだので、子どもに吸わせていた。しかしその後、左の乳首が赤くはれ上がり、授乳の度に激痛が走った。耐えかねて再び産院に行き相談したところ、抗生物質を服用することと子どもに吸わせずに搾乳するようにと言われ、2日間それを守った。傷が治ってきたので今度は子どもに吸わせようとすると子どもが嫌がって飲まない。悪循環で、乳がたまり、今度は乳房全体が硬くなってしまい、背中の方まで痛みが来るようになった。再び受診すると、「右の方だけで授乳し、左は止めてしまうように」と言われた。どうして出る筈のものを止めなければならないのか・・・私は納得がいかなかった。

 違うところで受診しようと思っていた矢先、その産院の助産師から新しい助産師を紹介された。乳頭保護器をつけて授乳するように言われ、それを守った。最初は飲んでくれていたものの、1ヶ月経つと子どもはその保護器を嫌がるようになり、ほとんど吸わなくなった。最初すぐに治るように言った助産師も「私にはカードがない(治せない)」と言われた。痛みはなおも続く。神様に『いつまで、主よ わたしを忘れているのでしょうか』と言い続けた。
 京都に良い助産師がいるから、ということを別の助産師に言われ、私は再び左の乳房を子どもが吸ってくれることを祈りながら、主人と離れ、子どもと2人、兄の家にお世話になりながら通うことを決めた。毎日、決して安くない治療費を払いながら通い続けた。二週間で治ると言われたが、そんなことはなく、反対に今度は右の乳房が乳腺炎になってしまい、切開しなければならなくなった。40度近い高熱が1週間ほど続き、それでも「ミルクは足さないように」という助産師の言葉を守り、夜中ふらふらになりながら授乳させた。子どもは泣き続け、私もいっしょに泣きながらの生活だった。左に続いて右も・・・どうしてこんなことになってしまったのか、神様は何を望んでおられるのか、問い続ける日々が続いていた。
 切開すれば治る・・・そう言われたが、普通1週間ほどで傷口が塞がるところが、何故かそこから乳汁があふれ、しこりがいっこうに取れない。病院を変えて相談したところ、お乳を止めれば治る、と言われた。別の病院でもそう言われた。もう、止めてもいいか・・・と思うようになった。
 京都の助産師から、いったん自宅に戻るように言われ、自宅から京都まで通うことにした。ミルクも足すようにと言われた。この頃、子どもの体重は増えるどころか減っていて、自分の体よりも子どもの体が心配だった。
 自宅に戻って数日たったら、その助産師が病気になり、「再開するまで来ないでほしい」という電話があった。まだ、右の乳房の傷口からは乳汁が出ていて、左ははれていた。いっこうに良くならない自分の体だったが、私は何故か穏やかだった。「神様が何とかしてくれる、そう思いながら、私はずっとこの3ヶ月過ごしてきた。だから、自分から薬を使ってやめたり、子どもに吸わせないようにして、乳を止めるのではなく、神様に任せよう。」そんな気分でいた。

 不思議なことに、その日から、私の心だけでなく体にも変化があった。切開してからいっこうによくならなかった右の乳房の傷が徐々に癒えてきて、完全に治っていった。また、痛みのあった左の乳房はだんだんと痛みがなくなり、体を思いっきり動かせるようになった。病院や産院、助産院に通っていないのに、薬を全く飲んでいないのに、私の体はどんどんと快方に向かっていったのだ。医者にも薬にも誰にもなおせなかったのに。

 今、子どもは7ヶ月になった。ミルクはほとんど足さなくてもよくなった。左の乳房は相変わらず飲んでくれないのだが、それでもミルクを足さずとも、こんなにもふくよかで元気に育ってくれていることが本当に嬉しい。あのとき乳を止めなくてよかったと、神様に委ねてよかったと思う。
 ふりかえると、いろいろなことで私なりに大変だったが、「こんな筈ではない」ことも神様のすばらしい力を知るために用意してもらったことではないか、と今では思う。信仰を強めるために、見えない力を見えるようにしてくださったのではないかと思う。

 「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのできるお方」
           (エフェソの信徒への信徒への手紙 3章20節)
ということを身をもって感じさせていただき感謝しています。

 以上の文章を書いたのが 2007年5月8日この日から 自分にいろんな変化があった。まず、それまで教会から遠ざかっていたのに、子どもといっしょに教会に通えるようになったことである。実はそれまで、いろんな思いから自分はこの教会にはもう通えないと思っていた。子どもを妊娠する前だから2年ぐらい遠ざかっていただろうか。それが、何のわだかまりもなく、通うことができるようになった。(もちろん、教会がとてもきれいになっていて、母子室も出来ていたので通いやすくなった、ということもある)
 そして、驚くべきことに、子どもが左のお乳を吸ってくれるようになったのである。このまま右のみで、だんだんミルクに移行していくのかと思われたのだが、子どもは出やすい哺乳瓶よりも出にくい左のお乳を選んでくれたようである。
 そして私が神様に感謝の気持ちを持って、子どもの幼児洗礼に臨めたこと、本当に嬉しいことだった。
 全てのことは神様に赦されてできること。「なんでうまくいかないの」ということも、それは神様の計画のうちにあること。
この出来事から私は本当に多くの恵みをいただくことができ、不思議な気持ちでいる。祈りは今も聞かれているのだと。
 証しをする原稿を書くときは、正直、自分のようなものが・・・という感じだったが、この原稿を書いているとき、自分が神様に向き合い得る時間だったように感じる。この機会を与えてくださった教会、須田先生に感謝します。
 神様、いろいろな出来事がありましたが、苦しいことも悲しいことも、全て喜びに変えてくださったことを心から感謝します。どうかこれからも、いろいろなことがあっても、信仰をもって歩ませてください。
 イェスさまのお名前によって神様にお祈りします。 アーメン

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