〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
志を立てさせ行わせてくださる神様
T.O姉
 愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
                (ローマの信徒への手紙 8章28節)

 多くの方が愛誦されているみ言葉ですが、私にも大切なみ言葉です。私は信仰生活の始め、教会へ行き始めて間もなく、このみ言葉を聞いて神様を信じる決心をしました。特別伝道集会があって、今河芸に居られるアスケ先生のお父さんが講師でした。このみ言葉を熱く、一生懸命に語ってくださいました。「神様が万事を益となるように働かれる」その時私は神様がどんな方なのか何も分からない時でしたが、この神様を信じたい、この神様に従いたいと思い信仰を始めました。でもその後、このみ言葉が 心の底から分かるために多くの試練を通されました。「こんなことにも、あんなことにも働いて益とするんだよ」と神様は導いてくださいました。

 「あなた方の内に働いて、御心のままに 望ませ、行わせておられるのは神であ るからです。」
               (フィリピの信徒への手紙 2章13節)
新改訳(日本聖書刊行会訳)の方がぴったりするのですが
 「神は、みこころのままに、あなたがた のうちに働いて志をたてさせ、事を行 わせてくださるのです。」

 私は, このみ言葉もとても好きで、このみ言葉に押し出されて、今までいろいろな事を行ってきました。万事を益としてくださる神様、そしてそれは神様が私の内に働いて事を行わせてくださるからと、そのつながりも分かりました。考えたり思いめぐらしたりしたりしている時に「このようにしたらどうか」と何となく心に導かれ、先ず志を立てさせてくださるのです。そして知恵や勇気も与えてくださるのです。 

 2006年11月の礼拝で、主人が自分の救われた時の証しをしましたが、それは結婚して27年目のことでした。主人が信仰を持ってからは2人で礼拝に行く、同じ土台で生活できる。天国も目指せる、そして今私達は障害者福祉の活動も2人で出来て喜んでいます。
 結婚は2人だけの問題ではなく、家族の関わりや交わりもあります。結婚して私は佛教と出会って困りました。家に佛壇があり、お寺にお墓がありました。姑である母はクリスチャンでしたが、母もどうしてよいのかわからなかったのだと思います。母は体が弱くよく入院もしていましたので、お寺の用事は私がしなければなりませんでした。佛壇は閉めてあって拝んだりはしないのですが、お盆、お彼岸,年忌、命日等お墓参りをしたり、お寺に届け物をしたり、それが苦になりました。母にとっては自分の主人と娘の位牌が佛壇にあるし、お寺にお墓があるので一方では神様を信じながら、佛さんも大切と思っていたようでした。
 母は75歳の時に大腿頸部骨折をしまして、当時内科の病気もあって手術をしなかったので支えなしでは歩けなくなりました。背もたれのある軽い椅子を使って椅子と一緒に歩いていました。家の中だけの生活になりましたが88歳位まで洗濯も自分でし、お風呂も一人で入っていましたが不自由な生活でした。
 母は歩けなくなっていろいろ考えていたと思います。ある時私に「私が歩けなくなったのは、阿弥陀さんの手が取れているのを放ってあるからと違うやろか」と言いました。意外な言葉でした。戦争中に逃げる時、阿弥陀さんを持ち歩いていて手が欠けていたそうです。
 しばらくして母は私に、「私が死んだらお父さんと娘の位牌を私の棺桶の中に入れて欲しい」と言いました。母はクリスチャンだから教会でお葬式をすると思っていましたので、私は「悪いけどそれはようせんわ」と言いました。母は中々あきらめられなかったのか、今度は「私が死んだら、お父さんと娘と同じお寺の墓に葬って欲しい」と言いました、私は重い気持ちになり母の心に佛教が深く入り込んでいることを知りました。お父さんや娘さんが亡くなって30年もたってお寺と縁が遠くなっているのに、母を葬ったらまた縁が出来ると思いました。
 母はイエス様を信じて長い間たっていましたが、始めの頃は礼拝にも行き教会の掃除や手伝いもしていたようですが、体が弱くなってあまり教会に行かなくなっていました。私は母に真の神様をもっともっと知って、しっかり信じて欲しいと思いましたが、足が不自由で教会に行けないので、家で集会をしていただくように先生にお願いしました。毎週1回、始め頃は女性宣教師と老年の信徒2〜3人、後には日本バプテスト宣教団松阪教会の東正明先生と信徒の方達が、母が92歳で亡くなるまで来て下さいました、お陰でしっかりイエス様を信じて、み言葉も身につき、どんな事もよく祈り、亡くなる時には「橋を渡って天国に行きます」と言って安らかに召されました。
 母の言ったお寺の墓に入れて欲しいという話に戻りますが、その頃私はバプテスト教会の納骨堂の権利を買っていました。私の名前で買っていたのですがお寺のお骨を教会の納骨堂に移したらどうかと思いはじめました。村上久先生に相談し、母に相談し、自分の主人と娘のことだからお母さんが自分で決めてくださるように話しました。長い間返事はもらえませんでしたが、母は決心しお寺から教会の納骨堂に移しました。佛壇の位牌と、阿弥陀さんは村上久先生が持って行ってくださいました。主人にも相談したと思いますが、主人は賛成も反対もしませんでした。
 お寺と縁が切れたわけですが、考えてみると私は他所からきた嫁なのにこんな事をして良いのかと、神様悪いことが起こらないようにお守りくださいと真剣に祈りました。また、主人の事を思った時に、お寺とは縁が切れたし、教会には来ていないし、今亡くなったらどうしたら良いかと心配しました。主人に「私は死んだら天国に行くけど あんたはどうするの?」と聞きました。主人は「一緒に来て欲しいのか、お前について行って入れてもらう」と言いました。「天国の入り口で追い返されるのと違うか?」と言いましたが、突飛な返事に2人で大笑いしました。主人が信仰に入ったのはそれから5年位たってからでしたが、もうその時から神様には主人を救う御計画があったと思います。私の家族に大切な事を行なってくださいました。召された者と共に働いて万事を益としてくださったのです。その後は仏教的なことに煩わされることなくイエス様を信じることが出来、あの時の決断はまちがっていなかった。神様の導きであったと感謝しました。
 バプテスト教会の納骨堂にあったO家のお骨は2006年4月イースターに松阪ルーテル教会の納骨堂に移させていただきました。
 誰でも信仰生活の間に2度や3度は神様の前に大決心をしなければならない時がありますが、これもその中の一つのことでした。

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