〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
試練は神の恵み
K.K姉
 私は2006年元旦に洗礼を受けさせていただきました。
 魚に例えれば ジャコにも満たない私ですが「イエス様は私の救い主と」確信し、今までのお導き お恵みを 感謝申し上げております。そして、元旦という一年のスタートの日に洗礼を受けさせていただきましたことも感謝の気持ちで 一杯でございます。ありがとうございました。  私は、永年ひとつの「人を赦せない苦しみ」がありました。しかし、聖書のマタイによる福音書6章14〜15節には

「もし人の過ちを赦すなら、あなたがた の天の父もあなたがたの過ちをお赦しに なる。しかし、もし人を赦さないなら、 あなたがたの父もあなたがたの過ちをお 赦しにならない。」

とのイエスさまのお言葉が私に迫ってきました。イエスさまは 私の罪をとり去ってくださるために苦しい十字架におかかりくださり、尊い血潮で私の罪を清めてくださいましたことが 痛い程わかりますし、今日よりイエスさまに「子よ」とお呼びいただけます幸いを思いますと、私も生まれ変わらせていただきました今日から、ずっと引きずってきた過去を 胸の中から捨て去ります。そして聖書にお示しくださいますみ言葉を少しですが実行していきたいものと思っております。つたない歩みですが、どうぞよろしくお願いいたします。
 後になりましたが、私の怪我のために 何度もお祈りしていただきまして、ありがとうございました。今は 怪我をしましたことも神様からのプレゼントと感謝しております。今日は、ありがとうございました。      (2006.1.1受洗の日に)

 今、私は自分の人生を振り返った時、いつも「縁の下の力もち」的な、犠牲ばかりになってきたような気がします。人は切羽つまった時、また、そういう状況に陥ったときは、たとえ身内であっても、自分の事しか考えられない狭い視野になってしまいます。
 損とか得とか欲とか人間の醜くさ、愚かさ、身勝手に、この世の人の心の罪深さにいつも弱い立場にいて、それでも両親の最後も看取ることができた私に、神様は耐える試練と脱出の道を備えてくださいました。私は今、「幸せ」とはいえないけれど、毎日の生活の中に、心の平安があることを感じています。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかっ たはずです。神は真実な方です。あな た方を耐えられないような試練に遭わ せることはなさらず、試練と共に、そ れに耐えられるよう、逃れる道をも備 えていてくださいます。」
              (コリントの信徒への手紙一10章13節)

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