〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
世に打ち勝つ信仰をいただいて
門山 勝利
私の名前(勝利)は、牧師の祈りで示された名前
 私が初めて教会へ行ったのは、1955年高校1年の時でした。自分の記憶にあるのはこのときですが、父の勤務の関係で幼児期は、亀山市で過ごしていました。亀山にイギリスから来られた年配の女性宣教師ベーズリ先生がおられ、よくダッコをして下さいました。私は、1939年の生まれです。第二次世界大戦戦況が激しくなってもその宣教師は、日本国から撤退命令が出るまでは、伝道を続けると言われていたそうです。
 父は、1930年代半ばに大阪時代にホーリネス教会で救われ、母は結婚して、津市の御殿場海岸で洗礼を受けていました。父母は、津市のホーリネス教会で礼拝を守っていました。
私が生まれた事を牧師の荒原先生に伝えると先生は、「祈ろう」と一緒に祈って下さったそうです。祈りの中で荒原先生が示された聖句は、
ヨハネの手紙一5章3節〜5節です

「そは我等神のをるは、是れ即ち神の愛なればなり、さればそのは 重荷にあらず。そはすべて神より生ま れる者は、世に勝つ故なり、さればこ れ世に勝ちし勝利、即ち我等の信仰な り、世に勝ちたる者とは、もしイエス は神の子におわすと信ずる者にあらずとせば、誰ぞや。」
( 永井直治訳 新契約聖書 1928年4月25日初版創刊 )
新共同訳では、次のようになっています。
「神を愛するとは、神の掟を守ることで す。神の掟は難しい ものではありませ ん。神から生まれた 人は皆、世に打ち勝 つからです。世に勝 つ勝利、それはわたしたちの信仰です。 誰が世に打ち勝つか。イエスが神の子で あると信じるものではありませんか。」

 世に打ち勝つ信仰、勝利の道を歩むようにと祈りを込めて「勝利」との名前がつけられました。
戦争が激しくなってベーズリ先生がどうされたか消息は知りませんが、私の名付け親の荒原先生は、礼拝説教などで、戦争反対、この戦争の間違いを語ったため官憲に逮捕され獄中死をされました。父母は、終戦前に田舎に帰り混乱の中農業をして教会からも離れる生活をしていました。

ラジオ伝道「ルーテル・アワー」を聞いて教会へ

 そのような時 私がラジオから流れる「ルーテル・アワー」を聞いたのです。
 戦後多くの宣教団体がアメリカやヨーロッパ各国から日本での伝道を開始され、ラジオ伝道も盛んでした。私が中学生になって、たまたま聞いたのが、「ルーテル・アワー」でした。

 日曜日の朝10時になるとCBC局から教団讃美歌267(教会讃美歌450)  マルチン・ルター作詞・作曲の讃美歌で番組が始まりました。
   神はわがやぐら、わがつよき
   苦しめるときの近きたすけぞ
   おのが力おのが知恵を
   たのみとせるのも
   などおそるべき


 関屋五十路作の30分ドラマで、信仰に生きる人たちの生き様が手に取るようにわかる番組でした。私は毎週聞き入りました。番組の最後には毎回聖書通信講座の案内がありました。聖書の無料進呈もあり共に申込みをして、がむしゃらに学びました。全12課であったと思います。中学3年になり再度講座の申込みをしましたら、快く受講させてくださいました。二度目の終了時に「ルターの小教理問答書の解説書」をいただきました。
 その頃、松阪ルーテル教会から、特別伝道集会の案内をいただいたのです。東京にあるルーテル神学校の岸千年先生を招いての特別伝道集会でした。今は市役所の一部になっていますが、教会の前にあった看護学校の講堂一杯に人々が集まっていました。その時の話の内容は覚えていませんが、初めての私に皆さんが親切にしてくださった事をはっきり覚えています。

 「ルターの小教理」で受洗の準備、私の受洗を期に両親も再び教会へ

 1956年12月23日夕のクリスマス礼拝で、洗礼を受けました。その年の始めに、伝道師をしておられた奥川泰弘先生に洗礼の相談をいたしました。奥川泰弘先生はそれなら礼拝に出席して「ルターの小教理問答」を学んで洗礼を受ける準備をするようにと勧められました。  礼拝に出席し、礼拝後は、グードイ先生による「ルターの小教理」の学びが始まりました。先生は何度も何度もくり返して教えてくださり洗礼を受けるまでに3回は、教わったと思います。
この小教理は、最初はルターが、幼い自分の子どもに神様を解りやすく話すために用いたと言われています。そのためか問答の初めは「神をれ、神を愛さなくてはなりません」から始まっています。先生は「この畏れは、恐れるのではなく、まり敬う」事ですと問答の答えで毎回話されました。この「神を畏れ」の言葉を思い起こす事で、私の信仰が今日まで支えられてきました。「神を畏れ、神を愛する」と言う言葉を、信仰生活の第一歩で教えられました。
 イエス様は、私の罪のために十字架刑で殺され、復活された事、そのイエス様を「ただ」信じるだけで救われる。罪人でありながら永遠の命をいただける。今思うと不思議ですが、素直に受け入れる事が出来ました。
 今、教会で用いている小教理問答書は、ルターの著したそのものですが、私が通信講座終了時いただいた「ルターの小教理問答書の解説書」は、200ページはあったと思います。聖書箇所の本文引用とそれでは足りずに、多くの引用箇所が書かれていました。受洗後も繰り返し繰り返し読んだのが良かったと思います。
私の受洗を契機に、父母は教会生活を始めました。弟と二人の妹もイエス様を受け入れ洗礼を受けました。悪の世に打ち勝つ信仰をいただき、イエス様に従う心を頂き離れることなく信仰生活をさせていただいております。

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