〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
真の愛と希望がなければ
F.K姉
 2007年4月8日のイースターに、私達夫婦は 主の憐れみにより、この松阪ルーテル教会に転入させていただきました。
 その いきさつというのは、2006年2月の三重アシュラム(ちいろば牧師こと榎本保郎師が推奨しておられる、聖書を黙想し、分かち合い、祈り合う世界的な運動)に夫婦で参加した折、須田先生、安福ふみえ姉にお出会いしたことから始まりました。3月になって、夫が私の様子を見かねて、須田先生の牧会しておられるルーテル教会に連れ出してくれたのです。
 2004年秋、私が60歳の時のことです。市の健康診断で大腸がんが見つかりました。早期発見にも関わらず、私はすっかり死の世界に取り込まれてしまいました。義母の介護に追われて教会から離れてはいたものの、主の守りの中で平安にあると思っていた私が、恐れと不安の真っ只中に放り込まれてしまったのです。病院の窓から見える景色がモノクロではないけれどカラーには見えない、生きてはいるけれど生きた心地のしない不安のかたまりになってしまいました。そんな中で必死に主の名を呼び求めていました。

 今、思い返すと感謝なことは色々あります。日本で五指に入るという名医の手術が受けられたこと、命がけの治療を受けている病室の方々との出会い、主にある友の祈り、遠い愛知県がんセンターまで毎日夫が見舞いに来てくれたこと、秋田から娘が付き添いに来てくれたこと、米国の娘は孫の拙い絵入りの手紙を何通もくれたこと、義母がなかなか入れない特別養護老人施設に入所できたこと等々、神様の備えは万全でした。が、私の目には自分の状態しか映らなかったのです。或る一瞬のことでした。死の不安と恐れが昂じて、私は真っ暗な、暗いといったら本当に暗い暗黒の中に独りぼっちでおり、ブラックホールに吸い込まれていくのはかくや、と思う程の恐怖に襲われてしまいました。「私は誰からも愛されていない、私も愛がない。生きていても希望がない。」と思った瞬間でした。魂が縮みあがり、たじろぎ、おののいているしかない恐い恐い絶望の世界を感じとっていました。と、その時「永遠の命」という言葉でもない思いでもない、光が闇を走ったのです。どんなに救われたことでしょう。つくづく人間は愛と希望を失っては生きられない、永遠の命の希望がなければ生きられない、と深く心に受け止めました。
 そこで、光なる神様の永遠の命の約束に安んじておれば、後の苦しみはなかったでしょうに、私はあの暗さから来る恐怖を引きずってしまいました。生きていても老いて病んで死んでゆくだけ、家族も人もいつかは別れの日が来る、何も成し得ず無意味に生きただけ、いずれみんな無くなっていく…と虚無的な思いが押し寄せ、一方では、人生間違えた、取り返しがつかない、という悔いにさいなまれていました。

 そんな私を夫が見かねて松阪ルーテル教会に連れ出してくれたのです。懐かしい奥川泰正ご夫妻がおられました。どんなに心強かったことでしょう。間もなく、友田総子姉、奥川泰弘先生のお葬儀がありました。なんという慰めと清々しいお式だったことでしょう。まさに死はなく、天に召された、そしてまた親しくお会いできる、と実感しました。死は通過点であり魂は永遠に主のもとに抱かれることを思わされ、安心となりました。聖書に、父なる神様は、私に、私達に何としても永遠の命を与えたくて、そのために独り子イエス様を世に遣わしてくださったことがこんなにも書かれていたのか、と今更ながら驚くほどです。恐れに関しては、聖書に365回も「恐れるな」と書かれているそうです。
 自分を見たら地獄でしたが、そこを通って主の真実に出会えました。“全てのことがあい働いて益となる”という み言葉を思います。また、須田先生のカウンセリングを受けて詩編139編をしみじみ味わっています。私のことを神様は全てご存知なのでした。先生は「幼子でいるように、良い子にならないで」と勧めてくださいます。内面的にスリムになれそうな気がします。

 本当に私は的はずれでした。自分中心に自分の幸せを求めて、自分のために主を求める信仰でした。見えるもの、感じるものに心うばわれ、見えないけれど、真に在りて在るお方、み言葉を信じ、み言葉に生きることをしないで、無知故に悩みを深めてしまいました。私は丸ごと、このままで主に受け入れられ、生かされていることを漸く受け止めています。自分中心の信仰には実りがありませんでした。
 教会に集い、礼拝に与かり、家庭会での学びとお交わりの中で、主の十字架の贖いと御赦し、そして復活の新しい命に信仰が新たにされ、聖霊の御助けの中に生ける真の神に触れられ、生き返ることができました。最早、人生をやり直したいとは思いません。己が十字架を負って主に感謝して、つき従っていきたいと願わされています。

「一日、一日を精一杯生きていたら、それが明日につながる」と、奥川和代姉が励ましてくださいました。秦喜久子姉が その様に日々を精一杯生きておられるのを目の当たりにしています。教会の他の方々もその様に生活しておられるのを知るにつけ、私も一日、一日を普通に送れることを感謝して、普通でなくても感謝してゆけるように求めていこう、と願っています。
 「愛がなければ生きられない、希望がなければ生きられない。これらのものは、イエス様の中に満ち溢れている。」と心から告白します。

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