〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
イエス様に選ばれた幸い
Y.K姉
 聖書のヨハネによる福音書15章5節には

 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」
とイエス様は言ってくださり、16節に
 「あなたがたがわたし(イエス様)を選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」

と語りかけてくださいます。
 このお言葉に私はいつも、自分は何も出来ない、つまらない者であっても、イエス様が私を選んでくださったのだから、イエス様は私を安心して繋がらせてくださり、お陰で朝、目を覚ました時から喜びいっぱい、夜は感謝の祈りをして床に就く生活をさせていただいております。
 イエス様が最初にお招きくださいましたのは、学生時代にギデオン協会の方から、左1ページの半分は英語、右の半分は日本語の和英対訳の聖書をいただいた時でした。しかし、その時は、最初のページ全部がイエス・キリストの系図で、馴染みのないカタカナの名前ばかりで興味を失い、パタンと閉じて、本棚の隅にしまってしまいました。それから10年ばかり、聖書のこと等すっかり忘れていました。東京オリンピックの年の1964年10月、長女が5歳、長男が1歳の時、主人の転勤で大阪から和歌山に引越しました。その時、神様は私を再び招いてくださいました。引越して1週間もしない中に、長女は市立幼稚園に途中入園でしたが、あこがれの幼稚園生になれ、お友達にも恵まれ、宣教師館での日曜学校に誘われました。長女には遊びの延長でしたでしょうが、毎週 きれいな絵のあるカードをいただくのも嬉しく、お友達と休まず参加させていただいておりました。
 ある日、日頃のお礼を兼ね宣教師館へ伺いしましたら、先生方はお出かけで、留守番をしていた中学生の男の子が「両親は出かけておりますが、必ずお伝えします。」と、全く大人と同様の挨拶をされ驚きました。その後、長女のお友達のお母さん達とお茶に招かれては、手作りのケーキやクッキーをいただきながら、和歌山の那智勝浦を振り出しに開拓伝道されている事や、その御子様たちが、素晴らしく成長されておられる様子をアルバムで拝見させていただいたり、今度は和歌山に教会を建てられる事など知りました。
 その後、我が家には長女とは7つ違いで次女が生まれ、友人から当時ブームになっていた分厚いスポック博士の育児書とかドーマン博士の育児書が送られたので、宣教師夫人に「どんな育児書を参考にされましたか」と尋ねました。夫人は、少し驚かれたお顔でしたが、即座に「私の育児書は聖書です。」と言われ、今度は私達が驚きました。帰宅し、それまで一度も開いたことのない聖書を探し出し、パラパラと開き、目に入って来たのは

 「妻たる者よ、夫に仕えなさい。夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。子たる者よ、何事についても両親に従いなさい。」
             (コロサイの信徒への手紙3章18〜20節)

が目に飛び込んで来て、私は「えっ!聖書にこんな事が、……」とびっくりしました。それから、そのページの前後を読みました。そして父なる神様とイエス様、また、その宣教師御夫妻、日曜学校の先生達が、私のために祈ってくださっていた事を知りました。
 1970年3月、友人と小学校5年生になろうとしている長女と私は、献堂式を終えたばかりの教会のバプテスマ(洗礼)槽で、今までの罪を洗い清めていただき、復活のイエス様の命をいただいて、生まれ変わらせていただきました。

 そして その年4月に、茨城県鹿島への転勤、引越し3日目からの長男の喘息が出て12年のお付き合い、長女の高校進学問題で 勤務地と60km離れた水戸市への転居、それに伴う主人との別居生活、故郷の主人の父の骨折による半年間の入院により介護の問題に直面、でも良い治療のお陰で寝たきりにもならず90歳まで元気に過ごすことが出来ました。義父の死後、進行の早い私のリュウマチの発症と、どこの家でもある色々の問題が起こって来ましたが、その度に 聖書のみ言葉が私達を導いてくださいました。
 そして茨城県に根づき、次女の高校卒業後、義父の入院により介護の問題をしっかり体験しましたこともあり、友人達と「親業とは卒業、今度は自分達の事を」と、老人ホームを見学したりして、「老い」の問題と取り組んでおりましたが、主人の姉の強い希望もあり、長女の2人目の出産を見届け、1990年4月から、思いがけず故郷での生活が始まりました。
 この時も

「見よ、兄弟が和合して共におるのは、いかに麗しく楽しいことであろう」
                   (口語訳・詩篇133篇1節)

このみ言葉に導かれ決断できました。
 三重に戻っての信仰生活は、和歌山・茨城で、いかにぬくぬくとした温室であったかを知る嵐にも巻き込まれました。
 でもイエス様は

「主の山に、備えあり」
(創世記22章14節)

と、いつもわたし達に必要なみ言葉や、助け手を御用意くださり、よき師、よき仲間と交わらせていただき、2003年7月より、心安らぐことのできます「港」近畿福音ルーテル松阪教会という港に留まらせていただけ、感謝しております。
 イエス様は

「わたしの目にあなたは価高く、尊く、わたしは あなたを愛し、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

と私達に呼びかけてくださっています。私は特に若い人と高齢の人たちに、このみ言葉をお伝え出来ますようと祈っております。

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