〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
愛と感謝と祈り
Y.S姉
 求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者のは見つけ、門をたたくものには開かれる。
               (ルカによる福音書 11章9〜10節)

 この有名な聖句を、洗礼を受けて間もない時は、神様に無理を願うような、せがむみたいな感じで、素直に受け入れられずにいました。当初は続けていたデボーションで最初に出遭ったページでした。
 毎日穏やかに暮らしたいですが、現実には考えられない出来事も起こります。日々の単調な生活の中でも心の葛藤の連続です。いつでも神様は共にいてくれるのに、自分の感情に流されてしまう方が多いです。どちらかというと不信仰で、何か頭を打つような事を経験しないと真剣に神様に向き合えないように思います。人に言えないような複雑な問題が時おり起こります。もしかすると、私だけではないかもしれません。そんな時、思うこと、求めることは今では神様です。神様と出逢っていなかった頃は、「なぜ、こんな目に遭うのだろうか、ほんと不幸だぁ〜」と悪いふうにしか考えられず、ひたすら落ち込んで感傷にひたっていました。立ち直るのには時間がかかっていました。
 ここ3年ですが、教会に通い、いつの間にか祈りも生活の一部のような、なくてはならない時となり、複雑な問題が起きても、落ち込む自分もいますが、「神様、これも何かの試練でしょうか? まだ、この程度で済んでよかった。神様がついているから大丈夫。」とか、暖かい希望の光を感じられています。
 神様は不信仰な者でも愛してくださいます。神様の愛だと思います。私にはこの愛がたまりません。聖書にも“愛”が大切だと書いています。感謝も祈りも大事です。人は努力次第で、1人でもできるように思います。しかし愛は1人ではできず、相手があり成り立っているように最近思うのです。今年は特に“愛”をテーマに臨みたいと思っています。
 今、こうして証しを書いて、教会に通える事を感謝します。毎日健康に暮らしていけることを、本当にありがとうございます。自分ではない、兄弟姉妹の尊い祈りを感謝いたします。

 「いまだかって神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされるのです。」
                  (ヨハネの手紙 一 4章 12節)

 ひとのふれあいを大切にして、目に見えない“愛”の力を信じて少しでも自分も愛の人と近づきたいです。

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