〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
受洗に際しての信仰告白
T.F兄
私はいままであえて神様に逆らうような生き方を選択してきたように思います。自分勝手に生きてきた39年の人生でした。

人並みに家族や他人を思いやる気持ちは持っていたつもりですが、心の奥底では自分の利益をより重視して行動していました。自分の利益の範疇で他人を思いやればいい。そういった態度で人に接することは、本当に人を思いやっていることにはならないどころか、その人を傷つけ、自分の敵にしてしまうことを私はまったくわかっていませんでした。このような態度を家族に対してもとっていたために、妻は傷つきその心は私から離れていきました。結果、妻と妻の両親までも敵に回してしまい、離婚という最悪の形で家庭を崩壊させてしまいました。

この離婚は、妻のみならず、当時4歳だった息子の心に深い傷を残しました。

離婚後も定期的に息子と会うことは許されましたが、息子の笑顔の中に深く傷ついた悲しみが見え、息子にすまないという気持ちでいっぱいになりました。しかし、敵となってしまった妻と和解するには、私の心はあまりにもかたくなでした。

息子は離婚についてはなるべく感情を出さないようにしていましたが、たった一度だけ
「もう一度パパとママといっしょに暮らしたい」
といって大泣きしたことがあります。このときばかりは私もやりきれない思いでいっぱいでしたが、息子の心の叫びを聞いても私の心はかたくななままでした。一度切れてしまった絆は元には戻らない、とかたくなに信じて。

そんな息子の叫びを聞いてくださったのが神様でした。神様はまず妻を教会に導いて悔い改めさせ、その姿を私に見せることで私のかたくなな心を開きました。

ちょうど3ヶ月前、息子に導かれて妻が通う教会にはじめて伺い、そこで妻が洗礼を受け、聖霊に満たされた姿をみたとき、私の中に大きな変化が起きました。私はこのままでいいのだろうか。私は妻と息子に対して犯した取り返しのつかない罪を放置したままでいいのだろうか。

教会に通って神様の教えを学ぼうと決めたのはこれがきっかけでした。さっそく自宅近くの教会を探し、松阪ルーテル教会にいってみることにしました。突然の訪問にもかかわらず、須田先生はじめ教会の皆様があたたかくむかえてくださいました。

聖書を読み始めると、いままでの自分の生き方が神様の教えと正反対であることに気がつき、自分がいかに大きな罪を犯してきたかを知りました。これほどの罪深い自分がどんなに悔い改めても赦されるわけがない、と思いました。しかし、

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ5.32)

というイエス様の言葉にはっとなりました。これほど罪深い私でも悔い改めることによって赦される。そのためにイエス様は十字架にかかって死んでくださった。それがわかったとき、私は自分でもおどろくほど神様を素直に受け入れられるようになっていました。

このことを一番喜んでくれたのは妻と息子でした。妻は私を赦し、私は妻を赦し、もう一度家族としてやりなおそうと決めました。

私は、今までの自分の罪を認めて悔い改め、神様の愛の教えに従ってこれからの人生を生きることを誓い、本日ここに洗礼を受けます。

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