〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
十字架の真を信じて
S.M姉

 子育ての手が離れ、イキイキと、とても楽しく勤めていた私ですが、風邪から気管支肺炎を起こし、それに喘息がかぶって、仕事を辞めざるを得なくなり、仕事を取り上げられたと言う思いは私に大変ショックでした。心の張りを見失ってしまい長い間ボーッとしていました。
 丁度その頃、鼻の手術の為、大学病院へ行く事になりました。松阪中央病院の耳鼻科の先生が、呼吸器科のある大学病院で、喘息もしっかり診てもらったら…と、喘息がもっと楽に成ると思うよと、勧められての事でした。(因みに…松阪中央病院の先生は腎臓が専門のドクターだったそうです)その頃私はとてもナーバスになっていたので、大学病院への入院、手術の事を、家族以外には誰にも内緒で大学病院へ入院しました。いきさつや事情等々をあれこれと説明する事が、兎に角しんどくて しんどくて…元気を無くしておりました。
 大学病院のドクターはそれをよく理解して下さって、ドクターともよく話しが出来た事、そして、家族以外の見舞い面会は、ナースセンターでドクターストップ、これはとても私を楽にしてくれました。ドクター曰く…良くする事だけを考えて居てもらったら良いですから…と、病院で自由にしたいことをしていて貰ったら良いので、むりに寝ていて貰わなくて良いですから病院に居る間に、少し痩せていってくださいと、ドクターが言い辛そうに課題を出されました。(その頃の私は74キロありましたから)  煩わしい事を考えないようにして、時間があると院内から病院の庭…大学病院から大学のキャンパスへと歩きました。広くて大きな芝生のグランド、その裏は海へと続いていて、海と空が広がっていました。ここがまた美しい砂浜、大学病院裏の町屋海岸です。私はそこで、とても癒され力をもらいました。真っ青に広がる空と海、そして海から空へ太陽が緋色に燃えて昇ってくる朝は、とても神々しい神秘な神の域の光景、不思議な不思議な何かとても大きい…ものを感じました。空が変わった。海が変わった。山も緑も…草木等々…も、その後の自分に…。

 星野富弘さんとの出会いから20年余。松阪での展示会は飛び上がらんばかりの感動…でした。小林佳子さんとの“であい”も本当に不思議で、神様がしっかり導き働かれたのを覚えます。そして、ごく自然に教会を訪ねた自分、厳かな雰囲気の中に讃美歌が流れていて、それはまるで神様に優しく包まれるような…神様をすぐそばに感じて、私は涙がボロボロ流れました。神様のお話を聞かないと、教会を休むと何か損をするような…思いがして足が向きました。“パッション”(映画)はイエスキリスト(神)を、より知り得る機会…神様からの大きな導きであり恵みでした。
 何年前だったか、ずーっと前の事、中日新聞の今週の言葉の欄に“神は愛である”と言う聖句が載っていました。私が はじめて知った聖句です。主イエスキリストが、十字架にかけられ贖いとされた、真実の教えを信じて歩みたいと思います。アーメン( 2004.8.8・洗礼の日に)

 全能の父なる神様 聖名を賛美申し上げます。こうして、証しの時をいただき ありがとうございます。私が教会へ導かれまして、3年になります。3年前の丁度2月の最後の日曜日、改装前の教会の古い玄関の扉を開けて入った時の事を今でもはっきり覚えております。神様が私を松阪ルーテル教会へ導き働いて下さった事を心から感謝申し上げます。
 半年経ち、2004年8月8日、須田先生から洗礼を授けて頂きました。司式は、その日、森本さんが担当してくださいました。皆々様の温かい祝福、森本さんは私の夫の若い時の知り合いで、夫も受洗の祝福に来てくれまして、感動の印しになりました。
 その時の聖書の箇所は、ローマ信徒への手紙6章“罪に死にキリストに生きる”この章でした。洗礼をうけてから、私はこの箇所を何度も何度も読み返しました。またこれからも折々に読み、十字架の贖いと、洗礼をいただき新しくされた思いを、思い起こしたいと存じます。
 教会へ通うようになりましたら、息子達がお世話になった先生方や、私の高校の先輩後輩もいらっしゃって、随分気がほぐれ嬉しかったです。洗礼は入学ですからと言われましたが、不器用な私はしばらくの間、戸惑う事ばかりでした。しかし、はじめてのクリスマスで、イエス様の御降誕の大きな学び、教会の働きがとても勉強になりました。強められました。
 神様のお働き、導き、兄弟姉妹としていただく交わりの中から皆々様の支え導きを、日々に本当にありがとうございます。聖書を読む解釈にも少し広がりが持てるようになって、導かれているよろこび3年の私の歩みです。
 十字架のイエス様を信じます。
 イエス様は言われます。

 「わたしは道であり、真理であり、命である」

と、人の道の歩みの導きを説いていらっしゃいます。とっても大事な事だと思います。 そこにはいつも常に「インマヌエル」、神様が私たちと共に、わたしと共にいてくださるという確かさがあります。十字架の真の愛の教えを信じて、学び歩みたいと存じます。
 先週、先生が勉強会で、傾聴と言うお話をされました。愛をもって、心の目でよーく見る事、心の耳でよーく聴く事を大事に心がけたいと思います。
 最後に、聖書の拝読をさせていただいて、私のお祈りにさせていただきます。

  エフェソの信徒への手紙 3章14節〜 21節

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