〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
アドナイ・エレ
丸尾 明美

 「主の山に、備えあり」
 ( 創世記22章14節 )


 まさに神様は私を生まれる前から知り、導いて下さっていると思います。私と教会との出会いは、私の姉が教会付属の保育園に入園したことから始まります。私が10歳の頃、出身保育園に顔を出す中で教会に誘われて通い始めました。当時、姉の金魚のフンだった私は日曜日の午前中に、姉を追いかけて教会の門を叩いたのでした。丁度そこに同じクラスの子がいたのもあって、私はすぐ教会に溶け込むことができました。

 当時の私は、小児喘息をかかえていて、発作を起こす度に自分の死を恐れていました。その思いを元気な両親に訴えても分ってもらえずに悶々としていたのです。

 そんな中、教会学校の先生にイエス様を信じるだけで天国に行けると聞いて、どうしても天国に行きたいと熱心に通うようになったのでした。しかし、その熱心な筈の気持ちも中学生になるとあやしくなってきました。当時は空前の占いブーム。少し霊感めいたものもあった(これが悪魔の巧妙なワナだったのですが)私は、同級生と占いの世界にのめり込んでいきました。そして、その中の一人が悪霊に取り憑かれて原因不明の病に倒れたのでした。

 彼女を見舞う病院を訪れた時、私の身につけていたロザリオを見たとたん、彼女の顔色が変わり、「それを外して!」と大声で叫びだしたのです。それは修学旅行先の長崎で、彼女とお揃いで買ったものでした。彼女も同じものを持っているのですから、最初私は何を言われているのかも解りませんでした。そして、「外さないと、ひきちぎるわよ!」と言った彼女の顔はいつものそれとは全く違うものでした。わたしの頭の中に、イエス様は悪霊よりも強いお方だ。私はイエス様に守られているから、こんな風にならずに済んだのだ。私はイエス様を受け入れる決心をしました。

 しかし、それからすぐに受洗をしたわけではありませんでした。私は、姉と二人姉妹で、両親は教会に行くのを反対することはありませんでしたが、家には仏壇があり、姉が先に洗礼を受けていたため、なんとなく自分が仏壇の面倒を見なくてはいけないようなつもりでいましたし、両親もたぶんそのつもりだったのだと思います。そんな中参加した中高生キャンプで、イサク(自分の一番大事なもの)をモリヤの山に捧げなさいとの主題で、メッセージを聞きました。

そして、ルカによる福音書9章62節

「鍬に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」

という聖書の箇所が、私の心の中に迫ってきました。「今、洗礼を受けなければ一生受けられないのではないか」そう思った私は、キャンプの荷物を降ろすのもそこそこに、洗礼をうけたいと両親に告げたのでした。反対されるのではと、内心不安でしたが、あっけない程すんなりと両親は許可してくれました。後で母に聞くと、姉を許して私を許さないわけにはいかないからということだったらしく、内心葛藤はあったということでした。

 ともあれ、その年のクリスマスに洗礼式を受けることになり、うきうきとしていた期末テストの最終日、テストも終わったからいつもとは違うルートで帰ろうかと普段乗らないバス(いつもは電車)に乗ろうとした時、隣のクラスの女の子に声をかけられました。「最近、すっごく楽しそうだけどなんかいいことでもあった?」「うん、私教会に行っててね。こんどクリスチャンになるんだ。」そして、それまでのいきさつを少し話をしたところ返ってきた答えは「そんな風に飛び込めるなんて羨ましいな。」だったのです。「一度教会に来てよ、誰だって大歓迎だよ。」今から考えると彼女は多分すごい深いところで求めていたし、悩んでいたのだと思うのですが、高校2年生の私にはそれを慮る知恵などありませんでしたし、降りるバス停に着いたので、「また、教会に来てね。」と叫んでバスを降りました。

 しかし、またはありませんでした。試験休みを終えて終業式に登校した私は急逝した彼女の訃報を聞かされたのでした。もともと心臓に軽い欠陥があったそうです。後日寄贈された彼女の蔵書は、親鸞や哲学書など彼女の苦悩が見えるラインナップでした。「なぜ、神様は私にもっと福音を語る時間をくださらなかったんですか。」彼女のことがわかってくるにつれ、そんな疑問と後悔が私の中に広がってきました。

 そして、祈っている中で示されたのは一組のカードでした。私が占いに嵌っていたとき買ったタロットカード。本格的な外国製のカードで、中学生の私がお年玉でやっとこさ買えたものでした。受洗を決心してからはカードを使うことはありませんでしたが、高価なものだったので捨てるに忍びなかったのです。これでは伝道に力が出るわけがない。すぐに捨てなければと、表のごみ箱に捨てに行ったのですが、表ではなぜか父がゴミを焼却していました。そんなことを普段する人ではないのです。私はここに入れなさいというイエス様の声を聞きました。ケースから取り出し勢いよくカードを投げ込んだ私に、父は「大事にしてたのにいいのか?」と、不思議そうに言いましたが、カードが見る見る燃える中、どんどん心が軽くなるのを感じていました。こうして神様は私に占いからの決別をさせてくださったのでした。

 それから、今まで、何度となく起こる様々な事柄の中で神様は私に最善を与えてくださいました。一見、関係のないと思われることも皆私のためにしてくださることでした。生きておられる主を感謝します。
                            ハレルヤ!

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