〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
主は私たちの宿るところ
N.M姉

「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
代々とこしえに、あなたは神。」

                   (詩編 90編 1〜2節)

 讃美歌 213、171

 私の半生を振り返りながら、神様がどんなに恵み、導いてくださったかを、証ししたいと思います。
 主こそが代々、永遠に私たちの住まいであると、壮大に、高らかに、詩編90編の作者、モーセが詠っております。
 私がこの素晴らしい神様のことを始めて聞いたのは、今から40年以上も前、中学3年の時でした。北海道十勝の、今はワイン城で知られる池田町の生徒数、900人余りの中学校で 唯一人、クリスチャンの人がいて、その人に導かれました。
 それまで、神様のことは余り考えた事は無かったのですが、しかし、人はどうして死ぬのか、人生の意味ってなんだろうという漠然とした疑問を持って居りました。神様が この全宇宙、生きとし生けるもの、そして、この私をも作ってくださったことを聞いた時は、本当に衝撃的でした。そして神様がこの世界を創造されただけでなく、今もなお、御支配下さっておられる事を信じることが出来たとき、今まで見ていた山や川、天地がすっかり変わって見えたことの驚きを今も忘れることが出来ません。
 ここで詩編90編にかえって、3〜6節を読みたいと思います。

「あなたは人を塵に返し
『人の子よ、帰れ』と仰せになります。
 千年といえども御目には 
 昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
 あなたは眠りの中に人を漂わせ 
 朝が来れば、人は草のように移ろいます。
 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい
 夕べにはしおれ、枯れて行きます。」

 人は単に塵に過ぎず、主から出で、主に帰る身であること、ここに人がどこから来て、どこに行くのかと言う長い間の疑問に答えを見出した思いで、私の魂は少し落ち着きを得ることが出来ました。そのクリスチャンの友達とは今も時折、Eメールなどで交際を続けております。3年前にこの松阪に来てくれまして4日間共に過ごしました。この礼拝堂にも来てみてもらいました。

 高校3年の時、他の友達2人と共に受洗致しました。牧師先生は九州熊本の出身の方で,今日歌っていただきました讃美歌213番の作詞者でもあります。始め 日本福音伝道団に属して居られましたが,故あって退団され,北海道十勝の浦幌と言う町で開拓伝道されて居られ、後に池田町で教会を始められると同時に日本福音の方に復帰されました。
 私が受洗して間無しに一年間、アメリカのカリフォルニアにあるサンデーゴ-市の高校で学びました。英語の勉強がしたかったことと、キリスト教の国が見たかったことで、アメリカ留学を希望しました。しかし、正直、私はアメリカのキリスト教の姿に失望して帰ってまいりました。日本が仏教国と言っても 唯、習慣的に従っているだけで,本当に仏教に帰依している人がそれほど多くは無いように、アメリカの人達も色々な人がいるということを考えませんでした。さらに、私の見たアメリカは極一部分で、全体を捉えてはいなかったかも知れません。この点ではアメリカでキリスト教に導かれた主人と、躓いて帰ってきた私とは対照的だと思います。
日本へ帰ってまいりまして、さらに上の学校に進むことを考えて居りましたが、その前に懐疑的になっていた私の信仰に、どちらかに確信を得たかったこともあって、静岡の聖書学院に行きました。
 箴言1章7節

 「主を恐れることは知識のはじめである」(日本聖書協会 口語訳)

と言うみ言葉が 私を突き押していました。そこで主人と出会い、家庭に入ることを決心いたしました。
ここで、その当時のことを少しお話してみたいと思います。

結婚に際して

 結婚のことについては,私は非常に迷い、苦しみました。未だ21歳でしたし、三重県松阪市は、遠い見ず知らずの所、言葉も違う、習慣も違う、知り合いもいない、まるで外国へ行くような感じだったのです。友達や知り合いの人に相談しましたが,賛成してくれる人は一人もいませんでした。敬愛する、牧師先生を訪ねて相談しましたが、あのやさしい奥様が一言、きっぱりと「お止めなさい」と言われた時は返す言葉がありませんでした。
 以後,その言葉はずっと私の耳に残り,長い生活の中で、大きくなったり,小さくなったりしてきました。お二人が亡くなられた今は、私の目の奥の涙と共によみがえって参ります。何とも有り難い言葉でした。反対しなかったのは不思議なことに 私の父と母でした。父はすぐさま地図を開き,松阪を指差して、「遠いなー」と一言、その淋しそうな顔は、今でも ありありと覚えています。

 母に、どうして反対しないのと聞くと、「反対したらあなたは行くのを止めるの?」と反対に言われて、黙って私の思いを通してもらったことを知りました。その母が晩年,私のもとに世話になりたいと言ってきて、この松阪の地で死を迎えることになろうとは、母も私もその時は夢にも思わなかったことでした。「神はほむべきかな」です。両親を悲しませ、親不孝をしてきた私にその挽回の機会を与えてくださったのです。

松阪に来て

 こちらに来た当時は、いろいろなことがありましたが、先ずは言葉の問題でした。東京から西の言葉にも、名古屋弁、京都弁、伊勢言葉などと、色々あることは後で知ったことですが,私たちは一括して、関西弁と呼び、それらはみんな一緒に聞こえました。その関西弁は漫才などで聞くだけでしたので、こちらの言葉は漫才を聞くようで、内心、結構、楽しく、聞きました。姑にあたる母が ある時「口縄がゴト飲んだ。」と言って外から帰ってきました。私は何のことか分からず、後で聞いてみると、くちなわは蛇、ゴトは蛙のことだったのです。
 二番目に大変だったのは、こちらの寒さです。北の北海道から来て、松阪の寒さを言うのは変に聞こえるかもしれませんが、当時はストーブも無く、部屋に一つの練炭火鉢があるだけで、家の人は家の中でも厚いジャンバーを着ていました。北海道は寒くとも家の中はストーブがどんどん焚かれ、下着一枚でも過ごせるくらいでしたので、私はこちらの寒さに身動きがとれず、言うまいと思っても「寒い、さむい」と言ってしまい、じっと動くことが出来ませんでした。姑には北海道から来たんだから、よもや、寒いとは言うまいと思っていたのに、と あきれられてしまいました。しかし、これらは 単なる表面上のことでありました。
 本当の信仰の戦いと成長は、私の心の深い所で始まりました。 若いときのことを思うと、自分が余りにも無知で、愚かなので、恥ずかしくって話しづらいのですが,毎日の生活は自分自身の発見でした。自分が余り苦労をせず、狭い世界の中だけに生きてきて、社会経験にも乏しく、自分の弱さ、罪深さを余り気付いて居りませんでした。
 色々ある中で、一つのことを言いますと、主人の両親が娘(主人の妹たち)と接する有様と、嫁である私に対する態度とは、歴然と違うことに戸惑いました。今にして思うまでも無く、少し年をとれば分かることなのに、私は未熟で、その心は穏やかではありませんでした。これは一つの妬みの心であります。私は嫁という立場を 何の予備知識も無く、現場で一つ一つ知ることになったのです。それぞれ、良く出来た心ある人達なのです。皆さんに守られて、許されて今日まで来たと言うのに、私は周りが見えていませんでした。

「敵を愛せ」、「人を裁くな」、「思い煩うな」

と言われるイエス様。しかし、敵は憎いし、自分の足らぬことを棚にあげ、人を責め、人を裁きます。主に信頼することが出来ず、思い煩って、寝られぬ夜も有りました。現実の自分は悉く誘惑に負け、自分の力では何もすることが出来ないことを知って、神様に全面降伏でした。イエス様の十字架に隠れてやっと天国に入れてもらえることを知りました。このことの影に、信仰を同じくする主人の変わらない忍耐と支えがあったことを心から感謝しております。
 今,私たちは娘の陽子に子どもが与えられて、一ヵ月半余り、我が家で共に生活をして居ります。家の中で赤子が泣くのは本当に何とも嬉しいものです。主人と共に心から感謝しております。私が子どもを与えられた時は、里が遠いので,帰ることもならず、姑の世話になって居りましたが、昔のことですから、紙おむつも無く、洗濯も食事も皆な姑にしてもらいました。 今にして思えば,姑は本当に良くしてくれたとしみじみ思います。して貰う方は、「あー、らくちん」と言って、寝ていられるものでもありませんから、自分なりに気を使って居りましたが、もっと感謝して、心安らかに休ませてもらう道もあったのではないかと反省しております。
 自分が今、姑の当時の年齢に達して,来し方を振り返り、また 人生の前が少し、見えてきた今、若い時、いかに自分が未熟で、至らぬものであったかを思わされます。両親にとって異郷の人である私を受け入れて、さまざまなことを教えてくださいました。日常の生活の中で畑仕事や、料理をしながら、ことあるごとに姑のことが思い出されます。 あれほど私にとって、気のはる人だったはずなのに 今は私の心に生きて、むしろ私に語りかけてさえ来ます。
 先人と生活を共にするとき、自分の自由や、わがままが幾分許されなくとも、いかに多くのことを学ばせてもらったかは計り知ることが出来ません。私たちの願いでありました両親がイエス様に導かれると言うことは、私の至らぬゆえにかないませんでしたが。
 今、人生の冬をむかえようとして、そんな弱く、罪深いものであっても、一度、「主に従う」と言い表し、その道を選んだだけの者だったのに、主は恵みを持って今日まで、導いてくださったことを心から、感謝しております。


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