〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
主に導かれて
T.N姉

 私の父は若くして視力が衰え、ずいぶん苦労したようです。そんな父を母は助け、私達を育ててくれました。父は大変信仰(仏教)が篤く、小さい頃よく仏教にまつわるおとぎ話をしてくれたことをなつかしく思い出されます。そんな少女期、本や雑誌で見る、私達の罪のあがないの為かかってくださった十字架、又天使達、私には何かひかれるものがありました。青春時代ラジオから流れるルーテルアワーに出会い、ますますキリスト教にひかれ、20歳の時鈴鹿の地にて洗礼を受けました。
 その後、両親の強い勧めにより、故郷に帰り現在の地に嫁ぎました。嫁いできた家は何代も続いた真宗の檀家で、信仰の弱さゆえ、家事、育児、仕事に追われ、何年か教会から遠ざかってしまいました。生活に疲れはて悩める時、そんな時勤務の途中目にしたのが松阪ルーテル教会の十字架でした。

「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」
              (マタイによる福音書11章28節)


 私は思い切って門をたたいてみました。牧師様はじめ皆様に温かく迎えられ、ずいぶん勇気づけられました。仕事を持っていた私は、何とか定年まで勤めたいと思っていました。夫は寺の世話役、自治会のお世話等、何かと忙しい日々を送っておりました。ふだん家をあけている為、日曜日礼拝に出席したいと言うと、いつも口論となりました。そんな時、舅、姑が相次いで病にたおれ、教会に行くことが許されず、何年か日々は過ぎ去りました。
 時は流れ、夫、息子夫婦、三人の内孫に囲まれ、幸せでしたが、何かむなしさがつのり、このままではだめだと思うようになりました。ときどき届く教会からのお便り、もう一度教会へもどりたい、家事のほうも大切にするので教会に行きたい旨、夫と話し合い許され、現在に至っております。兄弟、姉妹からいただいたお便りにささえられ、又信仰生活に復帰することができました。私のような者でも神様は、みすてず教会に導いてくださいました。心より感謝いたします。ずい分遠回りしてしまい、不信仰な罪深い私ですが、姑が息をひきとるまで、たえず私に手を合わせてくれた事、今では心の救いとなっております。残された人生、天国に迎え入れてくださる日まで、すべて神様にゆだね、一日一日を大切に信仰生活を送りたいと願っています。


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