〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
「感謝を忘れずに」
古川智朗
 千葉にいる小学校6年生の息子は、小学校6年間ずっとソフトボールに打ち込んできました。今は秋のリーグ戦の真っ最中。このリーグが終わるとチームからの卒業を控える息子には最後の大一番です。

 先日帰省し、息子の試合を見に行きました。その日は2試合あり、幸いなことに息子のチームは2試合とも快勝でした。私は息子が試合に臨む前にいつも「どんな強敵が相手であろうとも、試合ができることに感謝し、全力で楽しんでプレーしてきなさい。」と言って息子を送り出します。この日は2試合連続という過酷なスケジュールだったことで、最後はバテバテの状態だった息子ですが、2試合とも最後まで集中して、試合を思う存分楽しんでしっかり戦い切った姿に息子の成長を感じました。

 そんな中で、チームのあるコーチの提案が私の心に残りました。試合前のシートノックが終わってグラウンド整備が行われていた時、そのコーチが「グラウンド整備が終わったら、全員で整列して『グラウンド整備、ありがとうございました』と挨拶をしよう」と言われました。チームの監督、コーチ全員がこれに賛同し、子どもたちも整列して「グラウンド整備、ありがとうございました」と気持ちよく挨拶をしていました。それが良かったのか、チーム全員がいつもよりも気持ちよく試合ができており、随所に好プレーが見られました。

 試合終了後に息子と今日の試合のことをいろいろ振り返っていたときに、この挨拶がどういう意味をもつと思うかを聞いてみました。息子は「挨拶するとグラウンド整備をしている人がうれしいからでしょ?」と答えました。確かにそのとおりなのですが、これにはもっと深い意味があることを伝えました。

 試合において、主役は選手一人一人です。しかし、試合には他にも多くの人が関わります。監督、コーチ、チーム運営に協力して下さるお母さん方、相手チームの選手、監督コーチ、お母さん方、そして審判、グラウンド整備をしてくださる方です。1つの試合をするためにこれだけの方が協力して下さり、選手一人一人のプレーを支えて下さっている。主役の選手一人一人は、支えて下さる人たち全員の働きへの感謝を挨拶という形でしっかり伝えて、試合での全力プレーで答えなさい。試合前のグラウンド整備は選手にとっては小さなことかもしれないが(本当はとても大事なことです)、そういう小さなことへの感謝も忘れずにしっかりと挨拶で伝えよう。これが本当の意味だと息子に伝えました。

 私たちの信仰生活でも日常生活でも同じです。教会の奉仕でも、日常の生活、仕事においても、私たちはすべてを一人で行うことはできません。その奉仕、その仕事、その日常の出来事ひとつひとつにおいて、協力して下さる方、関わって下さる方が必ずいます。どのような形での協力になるか、関係になるかはその時次第ですが、どんな形であれ協力して下さる方、関わって下さる方への感謝を素直に表現して、その奉仕、その仕事、その出来事に真摯に向き合っていくことが大事だと思います。

 そして、その奉仕、その仕事、その出来事を楽しんでできることも大切です。やらされた、押しつけられた、巻き込まれたといった思いで奉仕、仕事、日常の出来事に向き合えば、決していい奉仕、いい仕事はできず、その出来事もネガティブにしかとらえられないでしょう。ソフトボールのときの息子やチームメイトのようにその奉仕、仕事、出来事を心から楽しむことができれば、それは本当にすばらしい奉仕、仕事ができた、出来事になったということだと思います。

 そのような私たちの心からの奉仕、仕事、出来事を、感謝を持ってささげることこそ、神様にもっとも喜ばれるささげものではないか。息子の試合を振り返りながら、そのように考えさせられました。

 「何をするにしても、すべて神の栄光を表すためにしなさい。」
           (コリントの信徒への手紙一10章31節)



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