〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
「天の国籍」
N.M姉
 昨年の暮れ近く、私たちの若い頃に大変お世話になった叔母が亡くなりました。明るく、穏やかで、とても親切な人でした。

 葬儀は、大方の出席者の予想に反して、宗教色のないものでした。故人をしのぶ、「偲ぶ会」という形で、簡素に行われました。遺族の方の精一杯のお考えだったのでしょう、色々な形があるものだと皆さんが思われたのではないでしょうか。

 唯、遺族の方の考えは別として、私個人が感慨を深くしたことを少し、お話ししてみたいと思いました。最も強く思った事は遺族の方々は、この故人をどこへ送ろうとしているのだろうかという事でした。

 そもそも、人は一体、死んで、どこへ行くのでしょうか。何千年もの人類の歴史の中で、死なずに生きて、命を長らえている人はいない訳で、死こそは人間は云うに及ばず、生きとし生けるもの全てに与えられた平等の決まりごとでありましょう。

 聖書は、ただ一人、死んでよみがえった方、イエス・キリストの事が書かれています。イエス様は最後の晩餐の時に、この世を去って、父の御もとに行くべき自分の時が来たことを知り、立って、自ら、手ぬぐいを腰に巻き、弟子たちの足を洗われてから、語られました。

 「あなたがたは、心を騒がせないが良い。神を信じ、またわたしを信じなさい。私の父の家にはすまいがたくさんある。もしなかったならば、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして行って、場所の用意が出来たならば、また来て、あなたがたをわたしの所に迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」
         (ヨハネによる福音書14章1~3節、口語訳)


 わたしにとって、死んで行き先があると言うこと、それも、私たちの為にご自分の命をなげうって下さった方と共におらせて下さると言うことは本当に感謝な事です。

 「わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。
  わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか
  わたしが天にのぼってもあなたはそこにおられます。
  わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。
  わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
  あなたのみ手はその所でわたしを導き、
  あなたの右のみ手はわたしをささえられます。」
              (詩篇139編7~10節、口語訳)



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