〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
「ドヤ街にある「山谷伝道所」に所属する信徒の働きに思う」
米倉安雄
 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」。
          (新約聖書・マタイによる福音書16:24)

 日本基督教団山谷伝道所という名の教会が、都内のドヤ街にある。この教会が無牧であったこともあり、わたしは、2011年1月から2015年2月まで、主日礼拝における奨励を仰せつかって通った。いつも妻あけみが一緒に行ってくれたが、これはペール・キブレ宣教師夫妻が、いつもそうしておられたことに倣ったまでのことだ。

 この伝道所の特徴は、周辺に住む路上生活者や生活保護者のみなさんを対象にして行う毎日曜日の午後5時からはじまる夕礼拝に見ることができる。

 毎回、約200名もの人々が集まる夕礼拝は、15名も入れば満席になるほどの狭隘な集会室では対応できないため、いきおい路傍伝道礼拝になる。時間近くになると4メートル道路の両側に「必要な糧」(新約聖書・マタイによる福音書6:11)を求める人々がたむろする。

 夕礼拝には給食と衣類等の提供が伴うが、その供給の仕方は、キリスト教会としての確固とした方針がある。夕礼拝は司式者の祈祷をもって始まり、讃美歌、聖書朗読、説教とつづき、参集者一同による主の祈りをもって終わるが、給食等を供給する対象は、夕礼拝に最初から参加している方々のみとしている。

 給食等の供給は、全国的な加祷と支援があってこそ出来る活動であるが、それらを生活に困窮している人々に直接供給する活動は、教派を越えた地元近隣教会の支援と、山谷伝道所の宣教師及び信徒によってなされている。特に、全国から寄せられる献金や献品の管理及び供給の準備や手順などを仕切るのは、山谷伝道所の信徒たちである。

 この信徒たちは、民間企業に勤めている者やすでにリタイヤした高齢者たちで、一身を神と隣人に捧げてこの奉仕の業に携わっている。彼ら信徒にその感想を聞くともなく聞くと、キリストによる救いに与っている者として「神に栄光を帰す」(新約聖書・コリントの信徒への手紙二9:13、口語訳)ことができる喜びの声が返って来る。

 しかし、心ある者ならば、これら信徒たちが奉仕活動を行うとき、キリスト者としての「苦労」が伴うことを、思い遣るべきであろう。この信徒たちは、神と山谷の人々に奉仕することを決心した人々には違いない。だが、このような尊い、しかし「苦労」の伴う非常な奉仕活動を信仰的の慮るならば、この奉仕の業に携わる信徒たちは、この業のために「神から召されて受け」(新約聖書・ヘブライ人への手紙5:4)た者であることを思わされる。このことは、山谷伝道所で奉仕する信徒たちの誰もが「気がついたら、こうなっていた」と異口同音に語ることが証明している。

 そう考えるとき、彼ら信徒の上に、パウロが召されたときや、そのあとに続く「苦労」と将来への「希望」を見るのである。パウロが異邦人伝道者として召命を受けたとき、主はパウロのところへ遣わすアナニヤに対して「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、彼に示そう。」(新約聖書・使徒言行録9:16)と言われた。パウロは主イエス・キリストにあって「無敵である神の愛」に凱歌を挙げているが(新約聖書・ローマの信徒への手紙8:31~39)、それと同時に、異邦人伝道に伴う非常な苦労を重ねている(新約聖書・コリントの信徒への手紙二11:23~28)

 想い起こすのは、冒頭に掲げた主イエスのみ言葉である。義と愛にいましたもう神に向かって生きるキリスト者の人生は、否応なしに十字架を背負う人生となる。神を知らない世にあって、キリスト者がキリストにある真実の生き方をしようとするならば、世との間に軋轢を生じるのは必然である。この世は、キリスト者に十字架を背負わせるのである。

 ここで、「わたしについて来たい者は」と仰せになるお方を見上げなくてはならない。そのお方は、この言葉をもって呼び掛けられるわたしたち人間を、罪と死とサタンの力から贖い出すために十字架にかかり、復活したもうたお方である。その主イエス・キリストが、「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」とおっしゃるのである。

 山谷伝道所の信徒たちが、全国から送られてきた献品の荷を抱えて狭い急傾斜の階段を上り降りする姿に、給食として配る「握り飯」を湯気の中で握る姿に、キリストの愛に動機づけられた信徒の姿勢を見るのである。

 パウロは、非常な「苦労」の中にあっても、こう記した。

 「現在の苦しみは、将来わたしたちに現わされるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」
          (新約聖書・ローマの信徒への手紙8:18)


 この聖句は、山谷伝道所で山谷の人々に奉仕する信徒たちのものでもあるに違いない。

        (松阪ルーテル教会出身、日本基督教団銀座教会信徒)


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