〈 信仰生活のあかし 〉
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「天国への希望」
門山むつ子
 4年半ほど前、長崎の西崎公園の26殉教記念像を見学しました。製作者のことはほとんど知りませんでした。

 先日「ぶらぶら美術博物館」という番組で、今年の夏に練馬区美術館で26殉教者の製作者「舟越安武」の彫刻展が開催されました。ゲストの次男の桂氏が身内ならではの解説をしてくださり、感銘を受けました。初期の作品から晩年までの展示されていました。

 「舟越安武」は1912年盛岡生まれ。東京美術館学校(現在の芸大)を卒業。1948年に疎開先の盛岡で長男を八か月で肺炎によって亡くします。同じ年、尊敬する友人の松本峻介が亡くなり、それがきっかけとなり一家そろって盛岡のカトリック教会で1950年クリスマスに洗礼を受けます。その頃からキリスト教をテーマにした作品を作り始めます。

 そんな中で、長崎殉教者記念像の制作依頼を受け、4年間心血を注ぎ込んで制作をします。

 長崎殉教者は、秀吉の時代に日本の最高権力者によって処刑された最初のクリスチャンです。京都・大阪で捕らえられ、長崎に連行され、西崎公園で1597年2月5日に処刑されます。その中には12歳の子供もいて「改宗したら許す」と言われても「つかのまの命と永遠の命は代えられません」と言ったと言います。

 多くの彫刻が展示されていましたが、私は特に原の城の農民像はすごいと思いました。天草の乱の時、原の城で3万人の農民たちが戦死しました。舟越安武は原城跡に立った時、イメージでかつてそこで戦死した農民の姿を見たのでしょう。

 また、ハワイのモロカイ島で布教したベルギー出身のダミアン神父の像も展示されていました。ダミアン神父はハンセン病の患者に寄り添い、自らもハンセン病になっても喜びの中で布教しました。いずれも信仰者として多くの感じるものがありました。

 舟越安武さんのご子息の桂氏は父親が脳梗塞で利き腕の右手が使えないようになっても泣き言は言わなかったと面倒を見ていた娘さんが言っていたそうです。右手が不自由になっても左手で「ゴルゴタⅡ」という作品を作り桂氏は「父はこの作品を創るために右手の自由を失ったと思う」。とおっしゃっていました。そして家族に見守られ最期の息を引きとる時「それまでだんだん呼吸が少なくなっていき、これが最期かと思った時、目を見開いて天井の角にあたるところを見つめ、ぽろっと涙を浮かべ息を引き取った。奇しくもその日は2月5日、26聖人が処刑された日にあたり、26聖人が父の作品を喜んでいてくれたのかな」と思ったそうです。

 私は普段「永遠の命」、「天国への希望」を、どれだけリアリティを持って信じているのだろうと思います。こうした先人たちの信仰を学びました。


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