〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
「日本の音楽のルーツを探る」
秦喜久子

 私たち日本人が幼い時から慣れ親しみ聞いていた美しい歌の中には、実は、聖書に示された創造主の、愛と恵みを背景にして造られたものが多くあったことをご存じでしょうか。実に、日本の近代音楽の基盤を作ったのは、プロテスタントキリスト教の讃美歌だったのです。

 小学校唱歌の初編が明治15年に出版された時、メーソンというアメリカ人の音楽教師が招かれ、メーソン自身の音楽教科書から5曲、それ以前に発行されていた日本の讃美歌集から7曲が収録されました。日本人作曲のも僅かはありましたが、「蛍の光」「庭の千草」「スコットランドの釣鐘草」など多くの曲は、実は讃美歌だったのです。明治5年に学制が敷かれましたが、その時取り上げなかった唱歌(という教科)を何とか復活させようとした田中不二麿が、讃美歌曲を導入する人物となった人で、メーソンへの招聘状を出したのも彼です。

 彼はキリスト教に改宗はしませんでしたが、明治5年4月10日付けの、新島襄が書いた私信によると、「彼(田中)は、キリスト教を信じる告白はしていませんが、心情から言えば、ほとんどクリスチャンです。」とあります。

 田中不二麿がいたずらに外国の真似ばかりして、日本の伝統をないがしろにしていると攻撃したのが元田永孚(ながたね)でした。この人は文部省を掌握していました。それ以前の明治政府にはそれ程反キリスト教はなかったのです。坂本龍馬もこう言っています。「日本も本当はキリスト教が良いのだが、そうもいかないから、やはり天皇にするしかない。」と。

 田中不二麿の部下に目賀田種太郎という人がおり、その人がメーソンを正式に招く契約をアメリカでして来た人です。(目賀田は帰国した翌年、勝海舟の娘と結婚)彼は田中の命令を受け、ぜひとも「唱歌」という教科が必要だと主張します。「身分、性別、年齢の区別なく、国民みんな家族全員揃って歌える歌があれば」と。そのモデルとして、アメリカのクリスチャンホームで家族全員が讃美歌を歌っている温かい姿が脳裏にあったのです。

 「おぼろ月夜」「春が来た」「春の小川」「故郷」「紅葉」など、誰もが口ずさんだ名曲は髙野辰之が作詞し、岡野貞一が作曲しました。岡野貞一は40年に亘って、毎週日曜日には東京の本郷中央教会の礼拝のオルガニストを務め、聖歌隊の指導もした人ですが、これらの歌を作曲したことは、教会の信徒たちでさえも知りませんでした。

 隠れたエピソードとしては、夏目漱石の「三四郎」の本の終わり近くに出て来ますが、「教会の外で美禰子(みねこ)を待つ三四郎が、場面からすると本郷中央教会のはずで、合唱もオルガン演奏も岡野のはずだった。」と作家の坂田寛夫が「朧月夜(群像1989年10月号)に書いています。このことは坂田寛夫によれば「何よりも漱石自身が岡野貞一のオルガンを聞いていたからこそ「三四郎」のそのくだりが書けたのだろう」と言っています。

 また、日本の代表的な作曲家滝廉太郎は「荒城の月」「花」「お正月」等々を作曲し、あの有名な山田耕筰と時を同じくして、1990年(明治33年)11月7日麹町上麹町二番町の聖愛教会で洗礼を受けています。滝廉太郎は千代田四番町の番町教会(現在もある)で青年部副部長をしており、教会オルガニストでした。その頃(21才)作曲したのが有名な「荒城の月」だったのです。

 「赤とんぼ」の山田耕筰やその詩作をした三木露風のことも書きたいのですが、一応、一区切りと致します。私はこれらの事を知った時、大きな驚きと感激を禁じ得ませんでした。ぜひ、皆様にも知って頂きたいと思いました。

(この文は、大阪藤井寺教会の池田豊牧師先生の記されたものを参考にしました。) 


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