〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
「主にゆだねる 」
小林茂男

 私達が確実に知っているただ一つのこと、それは、私達は皆死ぬ、ということです。人間は、淋しいことに、みんな死ぬのです。その確実にやってくる死が、何時(いつ)やって来るから分からないから、やり切れないのです。不安なのです。しかし、クリスチャンは少し違います。クリスチャンは、死が何時(いつ)やって来るか知っています。あなたは「私は知らない」と言うかも知れません。もちろん、平成何年何月何日ということは知ることは出来ません。しかし、クリスチャンは、「主のみ心がある。その中に私達の死もある。主のみ心の時が、私達の死ぬ時だ。」という事を知っています。だから不安もないし、恐れもないのです。それは素晴らしい事なのです。私達の生命は、主の与え給う使命の終わらない限り、終わる事はないのです。使命が終わって、最善の時が、死なのです。主にゆだねている限り、主が生も死も支配なし給うと信じている限り、神は私達を永遠の道へと導いて下さるのです。だから安心して生きる事ができ、せい一ぱい働く事ができます。つまり それが使命なのです。

 さて、人間が、どんなに地位や財産を使ったところで、どうすることも出来ない死、それを克服して、ゆうゆうと生きる道があるのです。実に、神のみ手に自分自身ゆだねて生きる信仰がそれです。己の欲望や自分のやりたい事だけをやって生きるのではない。神の使命に生きる時、私達は永遠の道にと導かれていく事が出来ます。

 「過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時がきたことを悟り世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」
           (新約聖書・ヨハネによる福音書13:1)


 イエスは、この世から父のもとへ移るとありますように、使命がようやく終わりに近づいたことを知ったのです。十字架の死を前にして、死の足音を聞きながら弟子たちの足をお洗いになったイエス様、その生涯の意味を、弟子達に示されたのが「洗足のわざ」でした。単なる謙遜の手本だけではなく、神の愛とはどういうものなのか、行為によって示されているのです。


《 バックナンバー 》
Copyright (C) 2004 Matsusaka Lutheran Church, All Rights Reserved.