〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
「祈りを通して」
M.N
 私が松阪ルーテル教会の一員に加えていただいて、今年で、何んと、50年が過ぎようとしております。過ぎ去った年月を振り返ると、様々な思いが浮かび、感慨深いものがあります。無知で、不信仰なものが、神様のお導きと、支えによって、この様に平和な日々を送らせていただいておりますこと、感謝の一言です。
 高村光太郎の「道程」という詩に、「僕の前に道はない、僕の後に道はできる」という一節があります。まさに私たちの前に道は見えません。後を振り返って、初めて自分のたどってきた道が見えるのです。神様が私たちを日々、支え、導いてくださっていることも、その時は、はっきりとはわからなくとも、後を振り返って初めて、その御業の跡を知ることができるのです。
 私は、聖書の中の、特に詩篇を通して、神様に祈ることを教えられました。自分のあるがままを正直に神様に祈るべきこと、すべてをご存知の天の父である神様に信頼して、申し上げるべきことを詩篇の作者から学びました。

 「主よ、わが終わりと、
  わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、
  わが命のいかにはかないかを知らせてください。
  見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。
  私の一生はあなたの前では無にひとしいのです。
  まことに、すべての人はその盛んな時でも
  息にすぎません。
  まことに人は影のように、さまよいます。
  まことに彼らはむなしいことのために
  騒ぎまわるのです。
  彼は積みたくわえるけれども、
  だれがそれを収めるかを知りません。
  主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。
  わたしの望みはあなたにあります。」 

            (旧約聖書・詩篇39章4節~7節、口語訳)

 弱く、死ぬべきものである私に、神様は朽ちないものを植え付けてくださり、永遠の命を根ずかせてくださいました。目を閉じ、じっと私の命の奥底に耳を澄ますと主のご臨在を思います。「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたが使わされたイエス・キリストとを知ることであります。」
            (新約聖書・ヨハネによる福音書17章3節)

 苦しみや悲しみの時だけでなく、喜びや平和な時でも祈りを通して、主に申し上げることができることは何んと幸いなことでしょうか。神様に祈り求めることが、すぐには答えられなくとも、ゆだねてゆくことができるとは、何んと幸いなことでしょうか。
天に召されてもなお、私の魂をおゆだねすることが出来ることを感謝したいと思います。

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