〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
「夏になると思うこと」
小林 佳子
 夏を迎えますと皆様は何を浮かべますか。私は1945年の敗戦の日の前後を思い出します。 私は三重県の津市で生まれ小学校4年生になる春、空襲が昼夜を問わず激しくなり、父の郷里の多気町(当時は佐奈村)に逃げることができました。7月27日には津市の街も大空襲を受け壊され、翌日の夜には焼夷弾で残った家も焼き尽くしました。
 その夜、北側の山の稜線の上が真っ赤に焼け、津市の街が、そして東の方も赤く伊勢市も襲撃されたのを見て、足がブルブル震えましたことを今もはっきり覚えています。この日までに日本の大都市は、ほとんど焼きつくされ、住む家の無くなった人達は着のみ着のままで、郷里のある人は幸いでしたが、田舎に縁の無い家族は悲惨でした。
 食べる物は無い、赤ちゃんは母親が栄養失調で母乳が出ない、乳首を吸っても吸っても出ないので大泣きする母も子供が哀れで涙する。そのあげく、赤ちゃんは死ぬ。また、お腹の中にいても栄養がたらず目の見えない子が生まれたり、戦地の兵隊さんも大変でしたが、銃後(戦地には行かず家に居る人達のこと)の生活もどん底、貧乏生活でした。

 8月6日は広島に8月9日には長崎に原子爆弾が落とされ、死の灰を浴びました。多くの日本人は、住むところを失い着る物も食糧さえなく病院も焼かれ怪我をした人はより以上に苦しみながら命を落としました。
 3・11(2011年3月11日)東日本大震災は町が水の海となり、親や兄弟多くの人達がなくなられましたが、戦争は一瞬にして火の海です。どちらに逃げても火の手に阻まれます。また先日の熊本地震に際しても多くのボランティアとして手を差し伸べましたが、そのような事はありません。周りの人達皆着たきり雀の何も無し、当時の人達の80%は「よく生き延びたこと」と思ったものです。子ども心に当時の親は大変だったと思います。

   ・B29の空爆やみし青き空平和を思うわたしの原点
   ・防空壕支えし木枠の白カビの匂いと戦禍忘れるはいつ
   ・米英の人は鬼畜と教えられひたに信じし無知なりし日よ
   ・風雪の雫は涙か幾筋のしるき跡あり「わだつみの像」
   ・サーフィンに観声上ぐる若者よ水浸く屍と散る人知るや 
   ・今少し終戦宣言早くあらばと今年も思う8月6日
   ・戦なき世にとの炎もゆ世界遺産のドームのほとり
   ・ひろしまの空に響かう子等の声「平和の誓い」地球をめぐれ
   ・各国の「サダコ」を読みし子等折る折鶴は歌う「核廃絶」を


 2016年5月の賢島サミットの後 オバマ大統領は、広島を訪ねられました。

   ・月にまで生きて糺せし唯一の「生ある地球」永遠に輝け

 マタイ5章9節に「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」とあります。戦争も幼いとは言え体験した者として、日本が再び戦火を浴びる日のないことを祈り、私にできることをしたいと思っています。

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