〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
主が共にいます
M.N.
 昨年の夏のある朝、私は床から起きようとしても両足に激痛が走って、どうしても 動けないでいる自分に、戸惑い、慌てていました。前日、一体どんな無理をしただろうかと思い巡らしながら、廊下を這うようにして、やっとの思いで朝食の用意のために台所にたどり着いたのでした。約、一週間ほど、そんな状態でしたが、整形外科へ行って、レントゲンやMRIで見てもらうと、それは足の病気というより、腰の背骨から来るものであると言われました。それから、一か月余り、寝たり起きたりの生活を余儀なくされました。
 寝ていれば楽かというと、そうではなく、痛みのない姿勢はほとんどなかったので、わずかでも痛みのない姿勢を探すのに一苦労でした。 自分の体が、思うようにならない生活をしながら、「あー、老いとは、こういうことなのですね」と、神様につぶやいていました。
老いた時の父母を思い、共に暮らした舅、姑のことを思い出し、熱いものが湧いてきました。
 痛みと闘いながら、時折、本を読み、天井を見つめ、神様に祈り、叫び、つぶやく日々でした。寝ても起きても神様が、そこにおられる、主がこんなにいつも近くに、しかも側というより、私の魂の奥底に潜んでおられると感じたのは、嬉しい発見でありました。老いて、体が不自由になるのとは反対に神様はだんだん近くなるのではないかと思われるほどでした。
神様は時折、聖書を通して語られます。

 「空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養って下さる。あなた方は鳥よりも価値あるものではないか。」                                   (マタイ:6:25,26)
「野の花がどうして育つか注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
                    (マタイ6:28,29)
 神様が空の鳥や野の花を養って下さるように自分もまた、神様にすべて委ねるべきことを教えられます。老いとともに、少しずつ体が弱るのはつらく、悲しいことだけれど、主が共にいてくださる。この世の旅路を終えて、天で主と共にあるというだけでなく、もうすでに主が共にいて、永遠の命は始まっているのでした。

 「主に自らを委ねよ
  主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
  あなたの道を主にまかせよ。」(詩篇37:4,5a)

 私の腰と足の痛みはすこしづつ良くなって、およそ三月程で、何んとか仕事が出来るようになりました。主が共におられることを感謝して、少しでも主に委ねる歩みをさせていただきたいと願っています。

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