〈 信仰生活のあかし 〉
< 信仰生活のあかし >
イザヤ書35章
奥川 敏子

 少し前、私は落ち込んでいました。高齢の一人暮らしは、イエス様と共に在り、毎日感謝し、祈りつつ暮らしていても、何となく淋しくなる時があります。同年代の友人が入院し手術をする、自転車で怪我をした、闘病の末亡くなった等を聞く時に自分の事を考えて心細くなるのです。
 そのような時、9月1日の聖書日課でイザヤ書35章を読みました。

1~2節 読み始めて私の心はぱっと明るくなりました。
       『荒野よ、荒地よ、喜びおどれ 
        砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 
        野ばらの花を一面に咲かせよ』

      美しい情景が思い浮かびました。

3~6節 障がいで苦しい生活をしていた人たちに回復の時が訪れます。
      6節『歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。』
     私の聖書に「志津」と書いてあります。姑は大腿骨を骨折して
    、晩年は家の中では支えを頼りに生活していましたが、戸外を歩
     くことはできない不自由な日々を過ごしていました。このみこ
     とばに出会った時、聖書にこう書いてあることを大変喜びまし
     た。希望を見つけたのです。このみことばによって魂が救われ
     たのです。

8~9節 『そこに大路が敷かれる。贖われた者のみそこを歩む。』
                            (新改訳)
     イエス様に罪許された者だけが、そこを歩む者となる。私もイ
     エス様に罪を赦されました。イエス様ありがとうございますと
     感謝があふれました。注解書にこの35章は聖書の中で最もす
     ぐれた章の一つであると書かれていました。何度も繰り返し読
     みました。そしてみことばの力によって、私は立ち上がること
     が出来ました。

     『御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。』
                  (ヤコブの手紙1章20節)

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