〈聖書からのお話し〉
 
「あなたは神に祈られている存在」

牧師 三 ヶ 嶋 徹 
 
 牧師の務めは礼拝での説教の他に、冠婚葬祭の仕事もあります。特に結婚式のような慶びごとは、前もって十分な準備をもって臨めますが、お葬式はそういう訳にはいきません。突然の連絡が入ります。備えつつ予定をすることは出来ない相談ですね。そういう意味で、私たちにも「死」は突然やってくるものです。

 随分古い話になりますが、私の高校生活最後の夏、クラブの合宿中に部員が死ぬという経験をしました。それ以来、死に恐れを感じつつも、「死」について考えるようになりました。当時の私は約50名程の吹奏楽部の指揮者をしていました。夏の1週間の合宿の出来不出来によって、コンクールの賞の順位が決まるという、とても忙しく、内容的にも厳しい合宿を過ごしていました。死んだ部員はその日、練習中にも関わらず部屋で休んでいました。しかし、指揮者の私は、彼の苦しさを理解せず、彼の態度を咎めたのです。その深夜、彼は持病の喘息が悪化し、駆け付けた救急車の中で死にました。僅か16歳の人生でした。「何故に気付いてやれなかったんだろう」自分を責め続けました。そして、どうして若くても死ななければならないのか。人は何の為に生まれ、死んでいくのだろうか。誰も答えてはくれませんでした。

 悶々とした生活の中で、父に誘われるまま、久しぶりに教会の礼拝に参加しました。暖かく迎えてくれた教会の皆さんや、牧師先生からの聖書の言葉に、何か心が癒される気がしました。

「ヤコブよ、あなたを創造された主は、
 イスラエルよ、あなたを造られた主は、
 今、こう言われる。
 恐れるな、わたしはあなたを贖う。
 あなたはわたしのもの。
 わたしはあなたの名を呼ぶ。」
                (旧約聖書、イザヤ書43:1)


これは旧約聖書の言葉で、洗礼の時に与えられた言葉です。神戸市の外れ、塩臭い田舎町の自分のことを、知るはずもない私の名前を、呼んで下さる方がいる。私を造って下さった神がおられる。本当に不思議な気がしました。生も死も、創造主なる神様の御手にある事を教えられました。何の躊躇いもなく神様の呼びかけに応えて、38年を数えます。

 ところが、洗礼を受けてすぐに挫折を味わい、本当に苦しみました。そんな私のもとへ当時の青年会々会長が訪ねて来て、励ましを与えてくれたことを今も鮮明に記憶しています。洗礼を受けて順風満帆に事が運ぶはずでした。クリスチャンになれば、神様の子になれば試練などに遭うことはないと思っていたのです。けれど現実は厳しかったです。私は大きな誤解をしていました。

 しかし聖書は語っていました。

「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。
 大河の中を通っても、あなたは押し流されない。
 火の中を歩いても、焼かれず
 炎はあなたに燃えつかない。」
                (旧約聖書、イザヤ書43:2)

人が生きていくときには試練はある。しかしそんな時にも、神は共におられる。「押し流されず、焼かれず、燃えつかない」と語り、決して致命傷にはならないことが言われています。

 もう一つ、イエス様がシモン・ペトロに語られた言葉があります。

 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
        (新約聖書、ルカによる福音書22:31、32)


 実際ペトロは、イエス様知らない、と三度否みます。けれどイエス様はこの時、「試練にあわないように」とか、「間違いに起こさないように」とかではなく、「信仰が無くならないように祈った」と言われました。試みは人間の世界には必ずあるものです。しかし、イエス様の祈りが先行していることを覚えましょう。神の子はあなたのために祈られるお方です。神様を信じる信仰さえ持っていれば、どのような試みも、私たちにとって決して恐れたりするものでないことを経験するでしょう。ぜひ一度、教会の門を叩いてください。ご連絡をお待ちしています。



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