〈聖書からのお話し〉
 
「命の水」

牧師 三 ヶ 嶋 徹
 
 地球全体で、私たちが使用できる淡水はどのくらいあるでしょうか?まるでクイズのようですが、人類が使える水の量をご存知ですか?この地球にはおよそ13.8億立方キロメートルの水があると言われています。しかし、この大量と思われる水のうち、97.5%は海水。淡水はわずかその2.5%にすぎません。しかも、その約70%が南極や北極地域の雪氷や氷河で、残りの大半は地下水です。この地下水も半分以上が地下800メートルよりも深い地層にあり、私たち人間が簡単に利用できる水ではないそうです。結局、私たちがすぐに使える河川や湖沼、浅い地層の地下水などの淡水は、地球の水資源のわずか0.01%に過ぎません。近い将来これは大変なことになっていきそうですね。

 ところで、聖書の話の中に、大金持ちが地獄の燃える火の中で、

 「指先を水に浸して私の舌を冷やしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません」
         (新約聖書、ルカによる福音書16:24より)


と叫ぶ場面が出てきます。いざとなったら、一滴の水がその人の生き死にを左右する時もないわけではありません。私自身も十数年前、海の近くの住宅に住んでいたことがあり、ある年の夏、大きな台風に遭遇しました。海風が巻き上げられ、塩害によって、団地全体の生活水を溜めていたタンクがストップと停電となり、たちまち飲み水に困ってしまいました。水の貴重さ、水の大切さは、誰もが知っていますが、この時ほど実感したことはありませんでした。

 さて、実は二千年前、イエス・キリストも、この「水」を話題にされたことがあったのです。イエス様はある女性に、

 「わたしはあなたに、決して渇くことのない水をあげよう」
         (新約聖書、ヨハネによる福音書4:14より)


と言われました。彼女は、人目を忍んで井戸に水を汲みに来なくてもいい便利な水があったら欲しいものだ、と言いました。イエス様が「渇くことのない水」と言われた彼女は、「物質的」な意味からそんな便利な水を欲しいと思ったのです。

 渇く水とはなんでしょうか。すなわちそれは、炎天下で水を飲んでもまた水を飲みたくなるように、映画で楽しみ、グルメで腹を満たし、酒で憂さを晴らすように・・・と、外からの刺激に対する欲望を満たすための「物質的な水」です。確かにこれらも無駄ではありませんが、それらは人の心を永遠に潤し続けることはなく、また渇きます。これに対し、「渇くことのない水」とはなんでしょうか。すなわちそれは、普通の湧水のようなものではなく、人間が真実に生きるにあたって、「人の心の渇きを永遠に癒す水」、すなわち神の言葉、聖書の言葉のことです。外から刺激を受けなくても、希望を持ってへこたれず、感謝をもって問題にぶつかり、信仰をもって乗り越えて行く、これこそ、渇くことのない命の水を持った人の人生です。

 イエス・キリストは、「私が命の水だ」と言われるのです。そう言われた、先の聖書の中の女性は、最初は当惑しましたが、やがて、その真の意味を理解するようになっていきました。この「命の水」なるイエス・キリストこそ、様々に欲望だけが灼熱する、本当に飲めども飲めども渇いて、充足することを知らない現代人に、最も必要な、切実な答えなのです。あなたも、キリストのもとに来て、この水を飲んでみませんか。ぜひ、教会の門を叩いてください。教会員一同心からお待ちしております。


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