〈聖書からのお話し〉
 
「あなたは人生の土台に何を据えますか」

牧師 三 ヶ 嶋 徹
 
 幼児教育の働きに携わらせていただいて20年以上が経ちますが、今も子どもたちの前で話す機会があります。これは、ちゃんと準備をしていても、話す瞬間にあれやこれやと悩むことが本当に多いものです。それは、聞く子どもたちの状態を見て、この導入はふさわしくないとか、準備したこの言葉は理解してもらえない、と言った等々です。さて、そんな中で、ゲーム機やパソコンなどの動画で慣れている子どもたちが非常に関心を持って聞いてくれるアイテムがあります。何と紙芝居なのです。声色を用いながら、臨場感たっぷりに話すと、食い入るように子どもたちは聞いてくれるのです。さて、その紙芝居の中で、子どもたちもとっても好きな「二人の大工さん」というのがあります。

 あるところに、いずれも腕自慢の大工さんがいました。ある時どちらが本当にいい腕をしているか比べてみようということになりました。設計も材料も期間も条件は同じです。二人は、それこそ腕によりをかけて頑張りそれぞれ完成させました。結果をみんなに見てもらったのですが、どちらも優劣をつけがたいということで、勝負は引き分けになりました。それから数年経ったある日のこと、激しい嵐が襲ってきました。あちらこちらで家が倒れたり、流されたりという被害が続出しました。さて、二人の大工さんの建てた家ですが、悲しいことに片方の家だけが倒れ、流されてしまったのです。調べたところ、原因は土台に違いがあったということが分かりました。片方は堅い岩の上に建てられており、倒れ流された家の方はなんと砂の上に建てられていたのでした。どちらが優秀な大工さんだったかは、家が嵐に遭ってみてはじめて分かったというのです。

 さてこの紙芝居のお話は、イエス・キリストが山上の垂訓・説教(新約聖書・マタイによる福音書7:24~27、新約聖書・ルカによる福音書6:46~49)の結論として語られたところからとったものです。ここには少なくとも三つの要素が含まれていると言えるでしょう。

1. 人生とは家を建て上げて行くようなものだということ。
2. 人生には思いがけない嵐がやってくるものだということ。
3. 嵐に耐えられるかどうかは土台次第だ、ということ。

 では、この土台とはどういうものなのでしょうか。

 第一に、土台は目に見えない隠れた部分ですから、「人生構築の確かさは目に見えない部分への関心度による」ということを意味していると思います。聖書には、

 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
(新約聖書・コリントの信徒への手紙 二4:18)


と語られています。表面上の目に見える部分だけに捉われてしまっていても、人生を本当に左右するのは、たとい見えなくても、「自己の信念」や、私たちクリスチャンが言う「信仰」だということです。

 第二に、土台を据えるためには労力や資材をつぎ込まなければならないように、「目に見えない部分にそれだけの元手を賭ける覚悟が必要だ」ということです。イエス様も、賢明な大工さんは「地面を深く掘り下げ」(新約聖書・ルカによる福音書6:48)、土台を据えたと説明しておられます。人生の土台作りには、何事においても熱心さと真剣さが必要です。時には犠牲をも必要となるかもしれません。堅固な建築の為には正にこれが必要です。

 最後の第三は、土台の質の問題です。一時的な見せかけの土台ではいけません。多くの人たちは、財産や学歴や能力、体力や若さなどを土台として人生を構築しようとしています。それらが何の頼りにもならないとは言いませんが、しかし、いざという時にそれらはどうなのでしょうか。あなたの人生に大きな嵐が吹き荒れる時、それらがあなたの身を本当に助けるものとなるのでしょうか?イエス様は「見えるものは過ぎ去ります」(新約聖書・コリントの信徒への手紙 二4:18)と言われました。ですから、「永遠に続き、愛と希望に満ち、人を生かす神の言葉に人生の土台を築く」べきなのです。

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」
          (新約聖書・マルコによる福音書13:31)

と、強く語られたイエス・キリストの言葉にこそ、あなたの人生を揺るぎないものとする大きな力があるのです。

 一度、松阪ルーテル教会にお越しください。信徒一同心からお待ちしております。




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