〈聖書からのお話し〉
 
「人生は旅である」

牧師 三 ヶ 嶋 徹
 

 今年2015年は、徳川家康公没後400年と言うことだそうです。織田信長、豊臣秀吉と続いた群雄割拠の時代に終止符を打ち、長年にわたるある意味天下泰平の世、江戸時代を作り上げた人物です。「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」の句のように、徳川家康はとても辛抱強く、忍耐力に優れている人物だと言われています。

 さて、その辛抱強いと言われた家康はまた、「人生は、重き荷を負って遠きを往くが如し」とも言ったそうです。今どき、少しマイナーな感じがしますが、現実の厳しさに直面した時など、なるほど、人生を見事に言い当てているな、と思わせられます。また、あの奥の細道を書き記した松尾芭蕉は、「人生は旅である」と言ったそうです。更に、三国志や宮本武蔵と言った作品を残している吉川英治氏は、「人生は旅である。しかも、この旅は、片道切符の旅である」と言いました。つまり私たち人間は、「オギャー」と生まれた時が人生と言う旅の始発駅であり、「ウーン」といって大往生を遂げる時が、人生の執着駅となるのでしょうか。『片道切符の旅』というのも、人生を見事に言い当てているように思います。

 ところで、この人生の旅ですが、片道切符のゆえに、行って帰って来た人の報告がありません。ですから、快調な旅であってほしいと願っても、時には大嵐に会うような苦難に会うかもしれません。そんなとき、何のためにこう苦労しなければならないのか、なぜこういつも辛いことばかりあるのか、と理解に苦しむことが多いですね。楽しい旅も、ビジネスの旅も、みな目的があるように、人生の旅についても、ハッキリとした目的、ハッキリとしたゴールを持って歩みたいものです。ましてや、片道切符の旅であるとすれば、確実にその目的を果たしたいものです。今、自分がどこに向かって生きているのかがハッキリしさえすれば、現実の苦労も大いに意義あるものとなるのではないでしょうか。

 聖書の中でイエス・キリストは人々に向かって、こう言われました。

 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
           (新約聖書・マルコによる福音書1:16)


 神様は、私たち全ての人間に「神の国」を備えておられます。また、イエス・キリストは、十字架につけられる前夜、弟子たちにこう言われました。

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 」
         (新約聖書・ヨハネによる福音書14:1、2)


 子どもたちが教会学校で良く歌っている讃美歌に、「福音の汽車」というのがあります。

 「福音の汽車に乗ってる。天国行きに。ポッポー。
  罪の駅から出てもう戻れない。
  切符はいらない、主の救いがある。それでただ行く。
  福音の汽車に乗ってる。天国行に。ポッポー。」

 この「福音」とは、イエス・キリストの十字架の死と復活によって救いが完成され、神の国はすでに来ていると言うことを告げる<良い知らせ>のことです。この汽車には切符はいらないと言います。イエス・キリストの救いがあれば、どんな困難や悲しみが襲って来たとしても安心して、神様の備えた御国に入ることが出来ると教えてくれています。私たちのゴールは、ここにハッキリとしています。お互い、このゴールを目指して共に励んでいきませんか。あなた様の来会を、松阪ルーテル教会員一同心よりお待ちしています。



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