〈聖書からのお話し〉
 
「愛のしるし」

牧師 栗 﨑 学
 

 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
         (新約聖書・ルカによる福音書2:10-12)


 今年もクリスマスの季節となりました。2015年はあなたにとってどのような一年だったでしょうか?多くの人は年末に忘年会を行います。これはきっと、一年間のいろいろな苦労や嫌なことを忘れて新しい年を迎えよう、という意味でしょうか。しかし最近では「望年会」という言葉もよく使われているようです。希望をもって新しい一年を迎える、そんな意味が込められているのだと思います。

 希望を持つことはとても大切です。そんな時期にクリスマスをお祝いするというのは、とてもすばらしいことです。なぜなら、クリスマスとはまさに、暗闇の中に光が来られたという、希望のメッセージだからです。

 主イエス・キリストがお生まれになった場所をご存知でしょうか?それは立派な家でも部屋でもありません。動物たちのにおい漂う家畜小屋でした。なぜ神の御子は、このような不衛生なところでお生まれになったのでしょうか。聖書は、

 「彼らの泊まる場所がなかったからである」
             (新約聖書・ルカによる福音書2:7)

と記しています。これは私達人間の心の状態をよく表しているのではないでしょうか。

 人々は、この世で様々なものを求めて生きています。そして、その心の空洞を何かで満たそうと一生懸命にがんばっています。仕事、能力、生きがい、愛情、金銭、名声など、人々の求めるものは様々です。しかし、その心にはイエス・キリストをお迎えするような場所がありません。あなたの心はいかがでしょうか?イエス様をお迎え場所があるでしょうか?

 しかし、イエス様が家畜小屋でお生まれになったということには別の意味もあります。もしあなた自身が、自分の心がきれいになったらイエス様をお迎えできると考えるなら、それは間違いです。心の中は、罪や悪や、いろいろな思い煩い、悩み、苦しみ、痛み、傷など、むしろ荒れすさんだような状況かもしれません。しかしそんな家畜小屋のような心にも、イエス様は来てくださるという意味もあるのです。

 天使は羊飼い達に喜びの知らせを告げてこう言いました。

 「これがあなたがたへのしるしである。」
            (新約聖書・ルカによる福音書2:12)

いったい何のしるしでしょうか?実は、このイエス・キリストこそ、あなたへの神の愛のしるしなのです。

 「神は愛である」
              (新約聖書・ヨハネの手紙一4:8)

と聖書は私達に告げます。しかし、この言葉に抵抗感をおぼえる人もいるかもしれません。なぜなら、この世には愛とは正反対の現実があちらこちらにあるからです。争い、ねたみ、悪意、差別、飢餓、戦争などの、この世の苦難の現実に目を向ける時、「本当に神が愛であるならば、なぜこのような現実があるのか」とさえ思われるのです。まるで神はこの世の苦難を見過ごしにしておられるかのように感じてしまうのです。

 しかし、果たして神は私達の苦難の現実を見過ごしにしておられるのでしょうか?この世の苦難の現実、それは、聖書によれば、人間の罪に原因があります。つまり、私達はこの罪の問題を解決しなければならないのです。そして、そのためにこの世に来られた救い主こそ、イエス・キリストです。この方が、私達の罪の問題の解決のために来てくださったのです。神は愛する御子をこの世に与えてくださいました。「これがあなたがたへのしるしである」とは、まさに神がこの世の苦難の現実を見過ごしにされず、むしろ人々を救うために、その愛を示してくださった、愛のしるしなのです。

 今年のクリスマス、ぜひ教会へお越しください。そしてこの神様からの愛のしるし、イエス・キリストをあなたの心にお迎えください。キリストの平和があなたの心を包むでしょう。



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