〈聖書からのお話し〉
 
「ここに愛がある」

牧師 三 ケ 嶋 徹
 
 「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
                  (Ⅰヨハネ4:9,10)

 ある本で、母親を憎み、恨んでいた一人の受刑者の話を読んだことがあります。その母親は、彼を実家に預けたまま再婚してしまい、彼は永年「俺の母親は、俺を捨てて再婚するような冷たい女だ。」そう思い込んでいました。ところがある日、刑務所の独房の中で、ふと小学生の頃母親を訪ねて行ったことを思い出します。その時、母親は新しい夫に、「子どもが来たからお金をやるよ」と、夫に十円のコインを一枚を見せ、承諾をとってからくれました。
 さて帰り道、よくよくそのコインを見ると、一枚だと思っていたのが、そうではなくて二枚だったのです。コインはご飯粒でしっかりとくっついて、はがそうにもガチガチにくっついて取れなかったそうです。脇の田んぼに駆け下りて、田圃の水にコインを浸けてはがしたのです。彼はそんなことを思い出しているうちに、涙が出てきました。
 「俺を捨てて再婚したと思っていたけれど、いつも心の中で俺を思い、来るのを待っていてくれた。飯粒がガチガチになっているのを思うと、随分前から俺を待っていてくれた。新しい夫に気兼ねしながらも、こっそりと10円玉を二枚もくれた。母は優しい人なんだ!」
 彼の考えは急変しました。そして、この時から、彼にとって真実に生きることが始まりました。人は誰でも真実の愛にふれる時、造り変えられます。それは神の愛の真実を知る時、人は神の御前で真剣に生きることを始めて行くのではないでしょうか。

 一般的に、キリスト教は十字架の宗教だ、十字架で死んだキリストを拝んでいる、と考えられています。また、死人が三日目に甦ったなどと、迷信を信じているとも思われています。しかし、それはちょうど、あの受刑者が母親の愛を理解していなかったのと同じようなものと言えるでしょう。
 聖書のメッセージは、キリストの十字架の苦しみと死というのは、実は神が私たちに下すべきさばきと、のろいと、滅びとの身代わりの死であったと言うのです。「正しい者はいない。一人もいない」(ローマ3:10)とあります。 そして更に、人間は、神の祝福を受けるにはふさわしくない者として、やがてさばかれ、滅びに向かうべき存在であると語られています。しかし、冒頭の聖書の言葉にあるように、「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。」つまり、神の愛は、イエス・キリストに、身代わりの死とさばきをお与えになったのです。しかし、私たちはそれを理解せず、神を拒み、十字架に死んでくださったイエス・キリストを軽視していないでしょうか。

 現在、キリスト教会の暦の上では、イエス・キリストの十字架の死と、それに続くイースター(復活祭)をお祝いしています。この十字架と復活の事実を、神の真実の愛として受けとめる時、その人の中に神の愛が豊かに注がれます。その人は、新しいいのちに力強く生きることが出来るのです。あなたも教会の門を叩いてみませんか。あなたのお越しを、牧師、教会員一同心からお待ちしています。


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