〈聖書からのお話し〉
 
「イエス・キリストは何者でしょうか?」

牧師 福井 基嗣
 
 イエス様は、弟子たちに、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねられたことがあります。そのとき、弟子ペトロは「あなたこそメシア、生ける神の子です」と答えました(マタイ16:15-16)。

 イエス様は私とって何者なのかということは、福音が、罪の赦しが、救いが私のものになるかどうか、その一切がかかっていることがらです。

 しかしイエス様の弟子たちにとりましても、この告白がいつも正しくなされてきたわけではありません。このキリスト、ヘブル語でメシヤ(救い主)の意味を、弟子たちはじめ当時の人々は、イエス様の言われるのとは違った意味で理解しておりました。それは当時ユダヤを支配していたローマ帝国の支配からの解放者、政治的なメシヤとしての役割をイエス様に期待したのでした。

 現代では、多くの人々にとってイエス様は何者でしょうか。おそらく一般的には、宗教的な偉人といったぐらいの思いしかないのでないでしょうか。多くの人が「イエス・キリスト」というその呼び名は知っていても、本当の意味でその人々にとってのキリスト(救い主)なのではなく、単に呼び名でしかないのが一般的ではないかと思います。

 作家、芥川龍之介は晩年非常に聖書に関心を注いだと言われます。キリストを主題とする「西方の人」を書き、さらに「続西方の人」を執筆し、1927年(昭和2年)7月24日の午前一時頃に最後の文章として「我々はエマオの旅びとたちのように我々の心を燃え上がらせるクリストを求めずにはいられないのであろう」と結んでいます。その後、彼は死の劇薬を飲み、妻と三人の子どもが眠っている階下の寝室に移ったが、薬がきいてくる瞬間まで、なおも携えてきた聖書を読み続けていたといわれます。

 彼の死を伝える朝日新聞(昭和2年7月25日版)は次のように報じています。
 -聖書を読みつつ最後の床へ-
「食後再び書斎に引きこもった氏は聖書をよみふけっていたものの如く、暁に近き午前一時頃、前記の劇薬を飲み、足音静かに階下の寝室にいり寝衣に着かえ、床につかんとした際、既に三児とともに熟睡していたふみ子夫人は、ふと眼をさまして声をかけると氏は『いつもの睡眠薬を飲んだ』と低い声で答え、床の上に横たはって尚も聖書を読んでいたが、やがて聖書を開きたるまま、ばたりと枕頭に伏して眠りについたが、これが芥川龍之介氏の従容たる終焉であった。」

 芥川氏は「続西方の人」の中で「わたしは四福音書のなかにまざまざと私に呼びかけているクリストの姿を感じている」と書いていますが、残念ながら、彼は自ら命を絶ったのであります。彼にとってキリストは何者であったのかと改めて思わされます。またこの告白の重たさを改めて示される気がします。

現代も多くの人々にとって、キリストは何者でしょうか。また「あなたはわたしを何者だと言うのか」とキリストは今日も呼びかけられます。

「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって、世が救われるためである。」(ヨハネ3:17)と聖書はしるします。

あなたを愛され、あなたに救いをもたらす救い主、イエス・キリストにお出会いされる日が来ますことをお祈りいたします。


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