〈聖書からのお話し〉
 
御心が行われますように

牧師 屼ノ下照光 
 
 アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことでではなく、御心に適うことが行われますように。
                  (マルコによる福音書 14章36節)

「御国が来ますように」と祈ることを教えてくださったイエスさまは、次に、「み心が、天で行われるとおり、地にも行われますように」と祈るように教えてくださっています。ギリシア語聖書を直訳すれば、「あなたのご意志が行われますように。天におけるように地の上でも」です。地の上というのは、私たちが生き、生活している世界のことです。神さまのご意思が私たちの生活の中に実現されるように祈りなさいと、主イエスさまは教えておられるのです。
私たちはいつも神さまの御心を知りたいと願って歩んでいます。しかし、何か、思いがけないアクシデントにみまわれたりすると、神さまの御心はいったいどこにあるのかと疑いの思いを抱いたりします。私を苦しめ、暗くて深い淵に私を落ち込ませてしまうのが、神さまの御心なのかと問いただしたくなったりします。主イエスさまは、そのような時にこそ、「御心がおこなわれますように」と祈りなさいと教えてくださっています。ある牧師さんは、次のように書いています。「どこにおいても、どんなときにも、『御心を行ってください』、『御心を成してください』、『御心が行われますように』と、そっと祈る時、自分の意志の実現だけを願ったり、他人の意志に心を奪われたりしている時とは、まったく違った判断や行動がうまれるのである」。
主イエスさまは、十字架のお苦しみを受ける前、弟子たちと共に食事をし、3人の弟子だけを連れてゲツセマネというところに行かれました。そこで、やがて迫り来る苦しみを前に、心騒ぐ中で祈られました。「イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい』。少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。『アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことでではなく、御心に適うことが行われますように』」。これは、苦しみの極みの中での祈りです。その苦しみの極みの中で、主イエスさまは、「しかし、わたしが願うことでではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。「父なる神の御心が行われますように」という祈りでした。
「御心が地の上に行われますように」と祈るように、主イエスさまは教えてくださいました。この地上は、あまりにも神さまの御心から遠く離れています。神さまの御心を悲しませることで満ち満ちています。憎しみと争い、テロと戦争、学校や職場のいじめ、幼児への虐待等々。そして、そのような地の上の一員として、私たち、そして、この私も生き、生活しています。そのような私たちに、主イエスさまは、「御心が地の上に行われますように」と祈りなさいと教えておられます。
そのように教えられた主イエスは、極限の苦しみの中で、「しかし、わたしが願うことでではなく、御心に適うことが行われますように」と祈って、十字架へと向かわれました。神の独り子イエスさまの十字架の苦しみ、神ご自身の苦しみと痛みによって、私たちに罪の赦しと救い、愛と平和を与えようとされたのが、神さまの御心なのです。
先に紹介した牧師さんは、天における神さまの御心を知ろうとするなら、ルカによる福音書15章の主イエスさまのたとえを読みなさいと勧めています。そこには迷い出た一匹の羊が羊飼いによって探し出された話、なくした銀貨をみつけた女性の話、ほうとう息子を迎え入れた父親の話が語られています。一匹の羊を見つけた羊飼い、また、一枚の銀貨を見つけた女性は、近所の人たちに言います。「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」(6節)。「なくした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください」(9節)。そして、主イエスさまは次のように語っておられます。「言っておくが、このように一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」(10節)。
主の祈りの「みこころが、天で行われるとおり、地にも行われますように」という祈りは、「天にある喜びが、この地上にもありますように」という祈りなのです。私たちは、神の御心そのものである主イエスさまの十字架の苦しみによって、その御心である大きな喜びの中へと招き入れられている者です。私たちは、この地の上での生活の中で、時に疲れ果てたり、いい知れない不安や恐れにみまわれたりします。しかし、主イエスさまは、いつもいつも、私たちにその愛の御手を差し伸べて、神さまの大きな喜びの御心へと招き入れてくださるのです。

 以下に、教会で用いられている「主の祈り」を紹介します。

  天にいます、われらの父よ
  み名があがめられますように
  み国が来ますように
  みこころが、天で行われるとおり、地にも行われますように
  私たちの日毎の食物を、今日も、お与えください
  私たちに負債のある者を赦しましたように
  私たちの負債をも、お赦しください
  私たちを試みにあわせないで、悪しき者からお救いください
  み国も、力も、栄光も、とこしえに
  あなたのものだからです   アーメン
           (松阪ルーテル教会で用いている「主の祈り」)

  天におられるわたしたちの父よ
  み名が聖とされますように
  み国が来ますように
  み心が天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように
  私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。
  わたしたちの罪をお赦しください
  わたしたちも人を赦します
  わたしたちを誘惑におちいらせず
  悪からお救いください
  国と力と栄光は、永遠にあなたのものです  アーメン
      (日本聖公会、カトリック教会で用いている「主の祈り」)


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