〈聖書からのお話し〉
 
晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ

牧師 屼ノ下照光 
 
 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。
                 (マタイによる福音書 6章25~30節)



 「立つまでは/何をするのか/覚えてた」。シルバー川柳の一句です。思わず「あぁ、あるある」と笑ってしまいました。
 9月23日(日)は、恒例の「長寿者祝福式礼拝」です。松阪ルーテル教会では、80歳以上の方々をお招きして礼拝を守り、その方々に主なる神さまからの祝福をお祈りします。どうぞ、ご高齢の方々をおぼえて、この日の礼拝にご出席ください。
 タイトルの「晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ」とは、上智大学で長年『死の哲学』を教えこられたアルフォンス・デーケン神父さまが本に書いておられた言葉です。「アーメン」も「ハレルヤ」もヘブライ語であり、「アーメン」というのは「真実」という意味、「ハレルヤ」というのは、「主(神)を讃美せよ、ほめたたえよ」という意味です。その本でデーケン神父さまは次のように書いておられます。

 「この言葉は、不要な思い煩いから自由になるための、私のスローガンです。
 私たちは、明日は晴れるかしらと、よく心配します。そして、晴れると気分も明るくなりますが、雨の日は、なんだかそれだけで一日中、気が滅入ってしまいます。しかし、毎日の天気などは、人間にコントロールできるものではありません。ですから、天気のことは天にまかせ、雨が降ったとしても発想を転換して、明るく過ごすほうが幸福でしょう。
 ドイツ語では、まじめすぎる人のことを「動物的なまじめさ」という言葉で表現します。要するに、ユーモアをもっていない人は動物に近いという意味です。逆に、ユーモアをもっている人は人間らしいとも言えます。(中略)中年期以降は、まじめになりすぎる傾向がますます強くなり、そのまま年を重ねると、コチコチの石頭になってしまう可能性があります。豊かな第三の人生を送るためにも、楽観主義を身につけ、まじめになりすぎる危機を乗り越えたいものです。そのためには、なんといってもユーモア感覚を育てることです」。

 「晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ」と生きられたら、なんと喜ばしいことだろうかと私なんかは思います。しかし、実際には、細かなことから大きなことまで、私たちには思い悩むことが実に多くあります。私なんかは、夕ご飯の準備のためにマーケットに出かけると、何を食べようかとかなり長い時間悩んでしまうことがよくあります。「空の鳥をよく見なさい。野の花がどのように育つのか注意して見なさい」と語りかけてくださっている主イエスさまのみ言葉は、悩んでばっかりの私にも、大きな慰めの言葉として響いてきます。この主イエスさまの言葉の中で私が一番好きなところは34節です。「だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。
 神さまを信じたら、思い悩みなどどこかに吹っ飛んでしまうということではありません。毎日毎日の思い悩みが十分にあります。ですから、明日のことまで思い悩むなと語っておられます。さまざまな思い悩みの中で神さまは、今日というこの日に、十分な恵みと守りとを与え、豊かに恵んでくださいます。だから、「明日のことまで思い悩むな」と主イエスさまは語っておられます。
 毎日毎日、その日その日の思い悩み、その日その日の苦労の中で、神さまに守られて、「晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ」と大切な毎日を歩みたいと、私も願っています。
 ご高齢の皆さまに、主なる神さまのお守りと祝福をお祈りいたします。


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