〈聖書からのお話し〉
 
「律法と福音」

牧師 福井 基嗣
 
 人はどのようにして救われるのでしょうか。その答えを聖書の中に捜す時、聖書は、一つではなく、二つの答をしていることがわかります。それは律法と福音です。しかもこの二つは火と水、夜と昼のように相反しているものです。
 人は神がこうしなさいと言われる戒めをすべて完全に守るならば救われます。しかしそれは不可能なことなのです。
 他方、聖書は正反対のことを言います。それは、私たちは何の行いもなしに救われる。
律法を守ることのできない者が、ただ神の招きに応じるとき、恵みによって、無条件に救われると。これが福音です。
 しかしイエス様の時代、ユダヤ教の学者や指導者層は、自分たちは律法を守っていると自認していました。そのような時代にあって、イエス様はあらためて律法について教えられたことがあります。そしてそれは非常な厳しさをもったものでした。
たとえば、「腹を立ててはならない」、「姦淫してはならない」、「離縁してはならない」、「誓ってはならない」、「復讐してはならない」(マタイ5:17~48)と教えられます。
 まず「腹を立ててはならない」。こう言われてどう思うでしょうか。腹を立てない人がこの世にいるでしょうか。「姦淫してはならない」。これは皆、当然そうだと思うでしょう。この教えは人の道にかなったことと言えましょう。しかし「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」というイエス様の言葉を聞くとどうでしょうか。これはあまりに厳しすぎると思うのではないでしょうか。

 カトリックの司祭で玉川大学教授の前島誠氏が「ユダヤ流逆転の発想」という著書の中でこんなエピソードを紹介しています。
 前島氏がイスラエルのアラブ人居住区にあるホテルに泊まった時、ちょうどイスラム教のラマダーン入りの日でした。ラマダーンとは三十日に及ぶ断食月のことです。
 断食の行は日の出から日没までのことで、夜間は開放さます。禁じられる内容は合わせて四つあります。①いかなる食物も口にしないこと。②水、その他いっさいの液体を飲まないこと。③煙草は吸わないこと。④女性を見ないこと(男子だけの禁令)。

 前島氏はこう言われます。『④の「女性を見ないこと」というのが、最後までわからなかった。言わんとするところは理解できるものの、普段の生活の中で具体的にどうしろと言うのか。いちど解明してやろうと思い、広場にたむろするアラブ人たちに交じって、彼らの目の動きをつぶさに観察したことがある。
 すると女性が目の前を通り過ぎるたびに、彼らはたしかにその姿を目で追うのだ。さて、どういうことなのか、隣にいたアラブの青年に質問してみた。「今、ラマダーンだろう。それなのに、どうして君は女を見るんだね?」、「見てはいないよ。眺めているだけなんだ…。」、「エ、見るのと眺めるのと、いったいどう違うの?。」、「眺めるというのは、ただ目で追うだけなんだよ。見るというのはね、ホラわかるだろう、中身の線をさ、こうやってじっと想像しながら見る…そういうことなのさ。」、「フーン。」
 分かったたような、分からない答えがかえってきて、それ以上こだわるのを差し控えた。そんなにうまくけじめがつくものなのか。わたしはいまだに釈然としない。』

 イエス様は「腹を立ててはならない」、姦淫してはならない」、「離縁してはならない」、「誓ってはならない」、「復讐してはならない」の教えの最後に、「敵を愛しなさい」と教えられます。これもまた実に厳しい言葉であると思います。
イエス様、わたしにとてもこれを守る力がありません、と言うしかありません。この厳しさは、何か人間離れした、現実離れした教えのような気さえします。先ほどのアラブの青年のように「眺めているだけだ」と自分勝手な解釈をして自分を守りたくなるような気がします。

 さきも申しましたが、イエス様は、当時の社会の指導者層が律法を守っていると自認している時代にあって、あえて律法の厳しさを説きます。
 それは、救いは人の行いによるのでなく、ただ神の赦しと恵みによって救われるのだということを示すためでした。
 
 数年前、私の恩師の講演をお聞きした時、「主イエスとの斬り結び」という言葉が繰り返し使われたことが印象に残りました。主イエスとの斬り結び、それはイエス様との真剣勝負と言えましょうか。
 私は、「主イエスとの斬り結び」とは、主のことばに、時に惑い、時に疑い、時になぜですかと問いつつも、尚、主の言葉に耳をすまし、対峙し、そのことを通して、主との深い人格的な交わりに入れられることではないかと思います。
 その主のことばに対して、「眺めているだけだ」という身勝手な解釈では、主との人格的交わりはそこに起こらないのではいでしょうか。
 私たちは主のお言葉に、真摯に耳を傾け、主との深い交わりに導き入られるものでありたいと願わされます。


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