〈聖書からのお話し〉
 
父である神

牧師 屼ノ下照光 
 
 そこで、イエスは言われた。
「祈るときには、こう言いなさい。父よ‥‥」

                   (ルカによる福音書 11章2節)
 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。            (ローマの信徒への手紙8章14~15節)

 先月からこの欄では、イエス・キリストが教えてくださった祈り、「主の祈り」を取り上げています。
 弟子たちが主イエスさまに、「わたしたちにも祈ることを教えてください」と頼んだとき、「父よ」と神さまに呼びかけるように教えてくださいました。主イエスさまは、『山上の説教』(マタイ 5~7章)の中で、神さまについて繰り返して、「あなたがたの天の父」、「わたしたちの父」と語っておられます。
 この世界を創造し、この世界とその歴史を御手のうちに治めておられる聖なる神さまが、「わたしたちの父である」というのはどういうことなのでしょうか。神さまは、わたしたち人間にとって、あまりにも大きく、あまりにもきよく、聖なるお方です。預言者イザヤは、神殿においてそのきよさに触れたとき、「災いだ、わたしは滅ぼされる」と叫びました。そのような神を、どうして「父よ」と呼ぶことができるのでしょうか。
 そのお父さんとの関わりがよくなかったので、神を「父」と呼ぶことに抵抗を感じていたという人の話を聞いたことがあります。私たちはそれぞれに「父親」のイメージを持っています。そのイメージで「父である神」を思い浮かべるなら、神御自身を見失ってしまうだろうと思います。先月も紹介しましたドイツの神学者、ヘルムート・ティーリケは、神を「父」と表現することは不完全で不適当なことであるが、しかし、聖書が語る神は、この「父」という言葉でしか表せないものである、と語っています。
 「わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている」(イザヤ 55章9節)と語られる神さまは、同時に、「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」(イザヤ 43章1節)と語りかけてくださっています。「わたしはあなたの名を呼ぶ」というのは、まさに「父」そのものの姿です。
 私たちが、神さまに「父よ」と呼びかけるのは、決して当たり前のことではありません。神さまを「父」と呼ぶことは、言い換えるなら、自分が「神の子」であることを言い表すことでもあるのです。神さまが、私たちを赦し、私たちの罪を赦して、「子」として迎え入れてくださっていることを表しているのです。なぜ、罪の中にある私たちを、神さまは「子」として迎え入れてくださったのでしょうか。それはただ、主イエスさまのあがないによるのです。イエス・キリストの十字架によって、罪の赦しをいただいたので「子」として受け入れられ、そこで、神さまを「父よ」と呼ぶことができる者とされたのです。そのことを、パウロは、ローマ8章14~15節、ガラテヤ4章4~7節において、イエス・キリストの救いによって、私たちは神さまに対して、「アッバ、父よ」と呼ぶことができるのだと語っています。
 ここで語られている「アッバ」というのは、まだ十分に話せないような幼児が父親を呼ぶときの言葉だそうです。「おとうちゃん」、「パパ」といったような言葉です。主イエスさまご自身、十字架を前にした苦しみの前でゲツセマネにおいて祈られたとき、「アッバ、父よ」と祈っておられます。
 旧約聖書においても、かもを「父」と表現する例は多くありますが、「アッバ」というのはまったくないそうです。神さまを「アッバ」と呼ぶことは、主イエスさまご自身が教えてくださったことです。主イエスさまは、ご自身このように呼びかけ、このように祈るようにと教えることによって、天地の創造主にして全能の神さまが、私たちをどんなに深く愛し、包み込んでくださる方であるかを、教えてくださっているのです。

 以下に、教会で用いられている「主の祈り」を紹介します。

  天にいます、われらの父よ
  み名があがめられますように
  み国が来ますように
  みこころが、天で行われるとおり、地にも行われますように
  私たちの日毎の食物を、今日も、お与えください
  私たちに負債のある者を赦しましたように
  私たちの負債をも、お赦しください
  私たちを試みにあわせないで、悪しき者からお救いください
  み国も、力も、栄光も、とこしえに
  あなたのものだからです   アーメン
           (松阪ルーテル教会で用いている「主の祈り」)

  天におられるわたしたちの父よ
  み名が聖とされますように
  み国が来ますように
  み心が天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように
  私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。
  わたしたちの罪をお赦しください
  わたしたちも人を赦します
  わたしたちを誘惑におちいらせず
  悪からお救いください
  国と力と栄光は、永遠にあなたのものです  アーメン
      (日本聖公会、カトリック教会で用いている「主の祈り」)


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