〈聖書からのお話し〉
 
救い主のしるし

牧師 屼ノ下照光 
 
 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」
                       (ルカ2章10~12節)

 若いヨセフとマリアが、辛い旅の末にようやくベツレヘムに着いたとき、彼らを迎え入れてくれる宿は一つもありませんでした。結局彼らが落ち着くことができたのは家畜小屋でした。小屋と言っても、当時は洞窟のようなところで家畜を飼っていたようです。天使から「おめでとう、恵まれた方」(ルカ1章28節)と呼びかけられたマリアは、ヨセフとともに穴倉のようなところに追いやられたのでした。そして、そこに滞在しているときに彼女は男の子を産みました。その子は、天使の紹介よると、「聖なる者、神の子」と呼ばれる子でしたが、その神の御子は、家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かされました。
 神の御子が汚い飼い葉桶に寝かされています。家畜の糞尿やよだれで汚れている飼い葉桶に神の御子が寝かされています。子どもの頃、牛に餌をやるのが私の仕事でした。私はその飼い葉桶に触れるのもいやでした。神の御子がそのような飼い葉桶に寝かされています。これは、ほんとうに恐ろしい光景です。
 これは、どういうことでしょうか。ここには、神の御子を汚い飼い葉桶に追いやり、神を拒絶し、神を排除し、神をないがしろにしている人間の姿が現されています。もっと強い表現をするなら、神を亡きものにしようとする人間の姿が表されています。まさに、この家畜の糞尿とよだれで汚れきっている飼い葉桶こそが自分自身であるのに、それに気づかないで、神を亡きものにしようとする人間の姿です。自らを神のようにふるまって、互いに他者を見下したり蔑んだりしながら、いがみ合ったり、蹴落とそうとしたりしている人間の姿です。また、内には妬みや悪意など、醜いものがいっぱい詰まっている。そんな罪の姿を、この飼い葉桶は表しているのです。

 主イエスがお生まれになった夜、その知らせは野宿しながら羊の番をしていた羊飼いたちに告げられました。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と天使は告げました。「飼い葉桶の中の乳飲み子」、これが救い主のしるしであるというのです。これもまた、不思議な言葉です。汚い飼い葉桶に寝かされている赤ちゃんが、「救い主のしるし」であるというのです。本来なら、このようなものは「しるし」でもなんでもないと無視されるものです。しかし、天使は、はっきりと、それが「しるし」であると語っているのです。
 クリスマスは、神さまが人を愛するあまりに、ご自身が人となっておいでくださったという出来事です。愛するあまりに、神さまは人のもっとも醜い、罪のまっただ中にご自身を横たえられたのです。汚く悪臭を放つような飼い葉桶の中に、神さまは大切な独り子、御子を横たえられたのです。最も醜いところ、最も暗いところに神さまがおいでくださって、そのところにこそ、神さまの大きな愛が注がれているということを示してくださいました。飼い葉桶の乳飲み子が「救いのしるし」であるというのはそういうことなのです。

 12月24日(日)午前10時から、松阪ルーテル教会のクリスマス礼拝が執り行われます。礼拝後にはお祝い会も予定されています。私たちのところにおいだくださった救い主のご降誕を、みんなでお祝いしましょう。どうぞ、お気軽に教会においでください。


      ※ 連載しています『主の祈り』は、1月からまた続けます。


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