〈聖書からのお話し〉
 
み国が来ますように

牧師 屼ノ下照光 
 
 「主の祈り」の第二の願いは、「み国が来ますように」です。直訳すれば、「あなたの王国が来ますように」ということです。「み国」というのは「神の国」ということであり、主イエスさまの福音宣教のテーマでした。主イエスさまは、たとえをもって、「神の国は○○のようなものである」と語っておられます。この「神の国」というのは、特定の場所をさしているのではなく、「神の支配」という意味です。神さまが王として治めておられるところ、神の愛と恵み、そして神の救いと平和が支配する国、それが「神の国」なのです。  福音書によると、主イエスさまがそのお働きを始められた時の最初の言葉は、「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1章15節)でした。神の独り子、主イエス・キリストがおいでになったそのところに、神の国が来ていると語っておられるのです。
 マタイによる福音書11章2節以下に次のようなお話があります。捕らえられて獄中にいた洗礼者ヨハネが主イエスさまのところに使いをやって、「来たるべき方はあなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねさせました。主イエスさまは答えて言われました。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人々は福音を告げ知らされている」(4~6節)。家畜小屋の中に誕生し、徹底してしもべとして仕えられ、神の愛を表してくださったご生涯、そのお方、主イエス・キリストがおいでになるそのところに、「神の国」が来ているのです。
 神の独り子がおいでになって、「時は満ち、神の国は近づいた」と語りかけ、神の愛をもたらしてくださった時、この世界は、神の愛であるその独り子を十字架につけてしまいました。それがこの世界です。神の国に対立するこの世界です。この世界は、そして私たち人間は、この神の愛を抹殺することによって、神の国をさえ消し去ろうとしました。しかし。この世界を愛してやまない神は、その愛をもって、独り子の死をこの世界の救いとされたのです。たいへん不思議なことですが、そのことをヨハネはその手紙の中で次のように語っています。
「神は独り子を世にお遣わしになりました。この方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちに示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネの手紙一4章9~10節)。
 これが、主イエス・キリストによって示された「神の国」です。
 ルカによる福音書17章21節には、たいへん不思議な主イエスさまのみ言葉が記されています。ファリサイ派の人々が主イエスさまに、「神の国はいつ来るのか」と尋ねたところ、主イエスさまは、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』、『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と応えておられます。他の聖書の訳では、「神の国は、実に、あなたがたのただ中にある」と訳されています。
 マルティン・ルターは、『小教理問答書』で、「み国が来ますように」という祈りを説明して、次のように教えています。
 「確かに神の国は、わたしたちの祈りがなくても、自ら来る者ものです。しかし、わたしたちはこの祈りにおいて、み国がわたしたちのところにも来るようにと祈るのです」。主イエスさまがおいでになるところに、神の国は実現します。
 この世界は、戦争や争いが絶えず、毎日、悲惨で悲しいニュースばかりが報道されているようにも思えます。とても、神さまが支配し、治めておられるとは思えないような世界です。そして、そのような世界に、私たちもさまざまな苦しみや悲しみ、苦悩を負いながら生きています。「神の国など、いったいどこにあるのか?」、そんな絶望感さえいだいてしまいます。しかし、主イエス・キリストは、今日も、そのような私たちとこの世界に向かって、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語りかけてくださっています。「悔い改めて福音を信じなさい」というのは、「神の国は、あなたがたのところに確かに来ているではないか。あなた方は、確かに神に愛されているではないか。それを信じて、神の語りかけ、み言葉を聞いて歩み続けなさい。神の愛の中で、互いに支え合い、祈り合い、仕え合い、愛し合って歩みなさい」という呼びかけなのです。
 飼い葉桶のなかに誕生し、私たちの最も低いところにまで降りて来てくださり、私たちの悲惨さを味わって、私たちの罪と一切の悩みを負って十字架で死んでくださった方が、私たちのために、今も執り成してくださっています。ここに、確かに「神の国」があります。この私が、そしてすべての人が、このような「神の国」に、生きることを願って、「み国が来ますように」と祈るのです。


 以下に、教会で用いられている「主の祈り」を紹介します。

  天にいます、われらの父よ
  み名があがめられますように
  み国が来ますように
  みこころが、天で行われるとおり、地にも行われますように
  私たちの日毎の食物を、今日も、お与えください
  私たちに負債のある者を赦しましたように
  私たちの負債をも、お赦しください
  私たちを試みにあわせないで、悪しき者からお救いください
  み国も、力も、栄光も、とこしえに
  あなたのものだからです   アーメン
           (松阪ルーテル教会で用いている「主の祈り」)

  天におられるわたしたちの父よ
  み名が聖とされますように
  み国が来ますように
  み心が天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように
  私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。
  わたしたちの罪をお赦しください
  わたしたちも人を赦します
  わたしたちを誘惑におちいらせず
  悪からお救いください
  国と力と栄光は、永遠にあなたのものです  アーメン
      (日本聖公会、カトリック教会で用いている「主の祈り」)


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